若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

再会2

佐々木先生の会で、一番うれしかったのは、四十年ぶりにKさんに会えたことだ。

私が一年生のときの美術部長だった。

Kさんは、成績がよかった。
学校時代、成績がいいというのは強い。
それも、がんばっていい成績というのじゃなく、「頭脳明晰」という雰囲気だったから、強い。

美術部では、成績だけ良くてもダメだ。
Kさんは、絵もすごかった。
と思います。
好きとかうまいとかいうのじゃなく、なんかわからんこげ茶色の絵だったが、恐れ入りましたと思わせたから強い。

おまけに、左利きだったKさんは、字を書くときは右で書くのだが、左でも書けた。
これがなんと、裏返しの字だった。

Kさんは、レオナルド・ダ・ビンチも、同じことができた、と言った。
これは強い。
ダ・ビンチといっしょというのは、凄まじい強みだ。

いろんな点で、私はKさんに対して弱かったのであるが、母の一言が決定的だった。

Kさんに会った母は、「あんたと一つちがいやのに、Kさんは立派な紳士やないの」と、感心したように言ったのだ。

認めざるを得なかった。

大阪府高校美術展というのがあって、他の学校の某先生が、なんだったか美術論を語った。
それを聞いたウチのクラブのA君は、猛烈に反発を感じたようだ。

A君は、Kさんに、反感むき出しの口調で、「某先生がこんなことを言ったけど・・」と話し出した。
Kさんは、すぐさえぎって、「先入観持ってしゃべったらあかん」と言った。

紳士というか、まあ大人ですね。

そういう話ばかりだと、面白くないのだが、Kさんはカタイ一方の人ではなかった。
ウチのクラブは、「燃える集団」で、いくつかの大きな展覧会の前になると、徹夜も辞さず、と言う感じで描いていた。

無断で学校に泊り込んで絵を描くなんて、今では考えられませんね。

ある展覧会の前、夜遅くまで描いていて、疲れた一年生何人かで体育館でバスケットボールを始めた。
Kさんもやってきて、一緒にワイワイ遊んでいたら、Kさんと同じ二年生のYさんがやってきた。
Yさんは、燃える男中の燃える男だった。

入り口で仁王立ちになったYさんは、目を吊り上げて、「K!一年生といっしょになって、何をやってるんや!」と怒鳴りつけた。

焦って謝ってたKさんの顔が今も目に浮かぶ。

四十年ぶりのKさんは、建設省でえらくなって立派に天下っていたが、すべてそのときのままであった。