若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

アンドレア・デル・サルト

アンドレア・デル・サルトは、知る人ぞ知るルネサンス美術の巨匠である。

知る人ぞ知るということは、知らん人は知らん。

知らんでも許される。

同じルネサンス美術の巨匠でも、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロラファエロは、知らん、では許されない。
私は許しますが、世間が許さない。

アンドレア・デル・サルトは、そのルネサンスの三巨匠と同じ時代の人である。
当時は三巨匠と並び称された。

長きにわたって並び称されていたのに、いつのまにか並び称されなくなった。
理由は知りません。

私が、アンドレア・デル・サルトの名前を知ったのは、中学の時です。
吾輩は猫である』に出てきた。

美学者の迷亭氏が苦沙弥先生に、アンドレア・デル・サルトの言葉を紹介するんです。
口から出まかせの迷亭さんのことだから、でたらめの名前だと思いました。

でたらめと思ったんですが、私にとっては印象に残る名前で、記憶に焼きつきました。

吾輩は猫である』は繰り返し読んでますが、何度か読むうち、実在の画家だと知りました。

だいぶあとになって、ルネサンスの巨匠だと書いてあるのを読んだんですが、ほんまかいなと思いました。
名前も知らんし、美術全集にも出てこない。
そんな巨匠があるのか。

二、三年前、アンドレア・デル・サルトの「若い男の肖像」という作品を見て、なるほど巨匠だ!と納得しました。

中学時代、うそっぱちの名前と思って以来苦節五十有余年、アンドレア・デル・サルトはついに名誉回復を果たしたのであった。

半世紀にわたって気になる人であったアンドレア・デル・サルトですが、このたび、アメリカで開かれた展覧会の豪華図録を入手しました。

こういうのが手に入るとは、いつもながらアマゾンさんに感謝です。

「イノベーターだった」と書いてあります。
業界の革新者だったようです。

当時の美術の巨匠は、芸術家というより、ディスプレイ制作会社の経営者という感じだった。

当時の宗教画業界は、たぶん成長産業だったんですよ。
殺到する注文をガンガンこなしていかねばならない。

流れ作業とか、いろいろ新しいことを思いついたんじゃないでしょうか。
知らんけど。

アンドレアさんのえらさのひとつは、当時の最新式描画素材の赤チョークを使いこなしたことだそうです。
クレパスみたいなもんだと思います。

ペンとインクが主流だったところに、赤チョーク。
ルネサンスの三巨匠も、赤チョークを使ったそうです。

赤チョークを使ったのがそんなにえらいのか。

いつものことながら、読んでもよくわからん。