若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

佐々木先生を語る会

きのう、大阪のホテルで、「佐々木先生を語る会」が開かれた。

私が卒業した高校の美術の先生で、この春92歳で亡くなられた。
東京芸大を卒業後、高校が旧制中学だった時代に美術教員として着任、以来40年にわたって勤務された。

不思議な先生だったと思う。

私は4年間お世話になったのだが、クラブ活動でも、美術の授業でも、先生に関する記憶がほとんどない。
他の教科の授業での先生達の言動は色々覚えているのに、先生に関しては全くと言っていいほど覚えていない。

あだ名は「チュンさん」。
いつもくすんだ色の上っ張りを着ていて、着たきりすずめというところからついたらしい。
小柄で口数の少ない先生にぴったりだった。

美術科には、先生の芸大時代の先輩の富田先生もおられた。

対照的なお二人だった。
富田先生は、大柄、雄弁で、あだ名が「デカさん」。

一年のときの夏の合宿でのお二人の姿が忘れられない。
皆が絵を描きに出払って、民宿には、先生二人と私だけが残っていた。

何部屋かぶち抜いた広間で、ステテコ姿のデカさんが、どっかりあぐらをかき、その前にこれまたステテコ姿のチュンさんが、柱にもたれて足を投げ出し、半分居眠りしながらうちわを動かしている。

デカさんは、その春の、教育委員会からのヨーロッパ視察旅行での見聞を、大音声でしゃべりまくっていた。
話し上手のデカさんの、興味深い体験談を、チュンさんは、相槌を打つどころか全くの無反応、聞いているのかいないのか、目をつぶったまま天井を向いてうちわを動かしていた。

デカさんは、チュンさんが返事もせず目をつぶったままなのを気にすることなくエンエンとしゃべり続け、チュンさんは、デカさんがエネルギッシュにしゃべり続けるのを気にすることなく、天井を向いてうちわをゆっくり動かし続けた。

美術部に入ったばかりで、お二人のことをよく知らない私は、この二人はどうなってるのだろうかと、不思議に思いつつ眺めていた。

佐々木先生、というと、この時の姿がまず目に浮かぶ。

卒業後も、毎年、先生から、「日曜には会場にいます」と書かれた「国画会展」の案内が来ると、美術館に出かけた。
先生と二人で、広い会場をゆっくり回った。
私が勝手な批評をするのを、先生は黙って聞いていた。

先生を好きだと思ったことはないのだが、ひょっとすると私は先生が好きだったのかもしれない。