きのう、大学美術部の先輩Aさんと久しぶりで飲みました。
Aさんは、神奈川県に住んでたけど、東京の娘さんが、出産後も働きたいから協力してほしいというので、思い切って奥さんと二人で娘さんの近所に引っ越したのに、出産した娘さんが、やっぱり育児に専念する!と宣言して仕事を辞めてしまったのでカックンとなったまま、どうすることもできず今日に至る。
そのAさんが、第二の仕事として添乗員をしているというのには驚いた。
Aさんは、寡黙な人である。
男は黙ってサッポロビール!という古いCMを思い出させるような人である。
美術部時代の思い出に、Aさんの絵はない。
大学の教室を美術展の会場にするのに大量の机を運び出さなければならない。
大量の机を黙々と運び出すAさんの姿を思い出す。
「美術部展」のポスターを、学内のあちこちに黙々と貼って歩くAさんの姿も思い出す。
そういうAさんの姿を思い出すということは、私もAさんといっしょに、黙々と机を運んだりポスターを貼ったりしていたのだということを、この場をお借りして訴えたい。
なんの話か。
添乗員です。
そのAさんが何で添乗員に?
定年退職後、無趣味なAさんは時間を持て余して困ってた。
「市民講座」の案内を見ていたら、「添乗員資格取得講座」というのがあったので、ついふらふらと、一時の気の迷いで受講することになってしまった。
Aさんは、黙々と勉強した。
黙々と勉強して試験を受けたら通ってしまった。
すると、就職先をお世話しましょうという話になってしまった。
行きがかり上仕方なく面接を受けたら通ってしまった。
見習い添乗員として働きはじめたら、先輩の若い添乗員から、「使えないおじさん」というような扱いを受けてカッチ〜〜ンときた。
なにくそ!今に見ておれ!一人前の添乗員になってみせるぞ!と黙々と勉強を重ね頑張るうち、Aさんのまじめさにほれ込むお客さんも増えて、今やその旅行社にはなくてはならない看板添乗員になったというAさんの話が本当なら実にめでたいことである。
半分本当だと思います。
Aさんは、おもに「霊場めぐり」のバスツアーを担当してるそうです。
「東国三十三観音」とかいうのですね。
霊場めぐりはけっこうハードなツアーだそうです。
二百段とか三百段とかいう階段がざらにある。
身体一つで登るのでも大変だけど、添乗員はお客さんの「ご朱印帳」とか「納経帳」とかを持って登るのできついそうです。
ずっしり重いご朱印帳や納経帳を両手に持って、黙々と階段を上るAさんの姿を思い浮かべると、ぴったりの仕事のように思えるのであった。