私が診察を受けたお医者さんは、親切ていねい話好きであった。
首や腰の痛みの原因は、生活パターンを聞かないとつきとめられないといって、細かい点まで聞かれた。
通勤は?
電車で学園前から小阪です。
そしたら準急やね。
電車に二、三十分ゆられるのは腰に良くない。仕事で重いものを持つことがあるが、これも良くない。4キロ近くのエレキギターをさげるのは、首にも腰にも良くない。
本を読むのが好きですといったら、それは眼から首にくるし、じっとすわって読むのは腰にも良くない。
パソコンも、目から首にくるし、じっとすわるので腰に良くない。
先生の話を聞いていると、生きていること自体が首や腰に良くないようだ。
死んだら私の悩みは解決する。というか死なないと解決できない。
スポーツは身体に良くないとは思っていたが、生きてることが身体に良くないのだ。困ったことである。
しかし、死ぬのが健康というわけでもなさそうだ。不健康の行き着く先が「死」である。死は不健康の成れの果てだ。
といって、いつまでも死ねないのも健康とはいえない。
死ぬのが定めであれば、死ねないのは不健康だ。
例によって何がなんだかわからなくなってきた。
話題を変えよう。
あかちゃんは健康だ。私のほうがあかちゃんより強いと思うが、あかちゃんのほうが私より健康そうだ。あかちゃんを見ているとうれしくなるのは、健康を見ているからだろう。
あかちゃんが泣いているのを見るとうれしくなる。ただし、わが子の夜泣き以外。
おとなが泣くのはうれしくない。おとなが泣いているのを見てうれしくなる人はかなりおかしい。
乳幼児はだいたい何をしていても健康そうに見える。昨日皇太子家の愛子さんが大相撲見物をした。テレビで見ていたら、星取表をつけているようだった。小さな子が鉛筆などを握ってなにか書く姿は健康そうでいい。
長女と次女は小さい頃よく二人で絵を描いた。長女が次女の絵と自分の絵を見比べて、「人の絵はきたないなあ」といった。健康である。
すると次女も見比べて
「うん。自分の絵はきれいやな」といった。健康である。
ある日次女が、「右大臣を描こう」といって描き始めた。
出来上がりを見て
「う〜ん、ヘンな右大臣になったなあ・・・これ、右大臣の風船にしよ」
臨機応変で健康である。