モデルは、マダム・ジョコンダとのことですが、似てるんでしょうか。
まあ、ダヴィンチが描いたんだから、「生き写し」のような気はします。
しかし、ミケランジェロが作った亡きジュリアーノ・メディチの像は、遺族から「似てない!」と大ブーイングだったそうですから、「モナリザ」もわからんですよ。
似てないからといって値打ちが下がることはないようにも思うし、下がるようにも思う。
今となっては、下がらんか。
描いた当時だったら、まずジョコンダ夫人が承知しなかったかもしれない。
「なにこれ!?これが私だっていうの!?描きなおしてちょうだい!」
十分あり得ます。
似てればいいというもんでもないし、似なくてもいいとも思えない。
富士山を描いた絵はたくさんあります。
いろんな富士がある。
とんがった富士山、丸々とした富士山。
だいたいどれも富士山とわかる。
「赤富士」と題して、ぜんぜん富士山みたいじゃなかったらどうか。
まあ、今なら通りますね。
三十年ほど前でしょうか、NHK教育テレビで水彩画教室があった。
女性モデルを描いていて、生徒たちの作品を見た後で、先生の絹谷幸二さんの作品を見てびっくり。
まる、しかく、さんかく、あか、あお、みどり。
女性はどこにいる?
先生は澄まして、「ボクが描くとこうなるんですね〜」
え〜かげんにせ〜よ。
お手本見せたれよ。
え〜、長々引っ張ってまいりましたが、何が言いたいかというと、私の絵、結構いけてますよということなんです。
え?あんたこそえ〜かげんにせ〜よ?
ちょっとお待ちください。
はなちゃんが我が家に来ました。
我が家には我が絵が我が物顔に所狭しとかかってます。
その中の一枚、ゆうちゃんを描いた鉛筆画を、はなちゃんがじ〜〜〜っと穴のあくほど見つめていたかと思うと、「う〜ちゃん!」といったんです。
おお!
これがゆうちゃんとわかるのか!
で、はなちゃんを描いた油絵を見せたら、「は〜ちゃん!」
はなちゃんのママを描いたのを見せたら「ママ!」
ゆうちゃんとおばあちゃんの絵を見せたら、「う〜ちゃん!ばあちゃん!」
最新作男前自画像を見せたら、「じ〜ちゃん!」
感動した!
はなちゃんがわかってくれた!
世間の無理解の中、石もて追われるように芸術の世界をさ迷い歩いた悲運の肖像画家鹿之助についに理解者が現れた。
はなちゃんにわかってもらえさえすれば、カネも名誉もいらぬ!
満足です。
誰が何と言おうと、私の絵はいけてます。
誰を描いた絵か、はなちゃんがわかってくれたんです。
家内を描いた絵を見せたとき、決定的瞬間が訪れました。
じっと見て、はなちゃんは無言であった。
「ばあちゃん!」とはいわなかった。
私自身、若く描きすぎたと思ってた絵なんです。
はなちゃん、わかってますネ!