きのう、会場で中年女性に声をかけられました。
はなちゃんの絵を指して、「これ、この前描かれてたお孫さんですね」
この画廊の常連さんで、一昨年の個展も見てくださったそうです。
そのとき見た「はなちゃんの見返り美人」が記憶に残ってたということでした。
「はなちゃんの見返り美人」の隣に、はなちゃんのパパの絵がかかってたことまでおぼえてたのには驚きました。
うれしかったですわ。ヽ(*´∀`)ノ
「記憶に残る絵」
立派なもんじゃございませんか。
家族の肖像以外の、ほかの方がモデルの絵を見ながら、「こんな肖像画を描いてもらったら、うれしいでしょうね」
「そうでしょうか」
「そりゃあみなさん喜んでおられると思いますよ」
「どうでしょうかねえ」
「うれしいですよ〜」
「じゃあ、モデルになっていただけますか」
「え!い、いや、私はダメです!」
「描いてもらった人は喜んでると思うんでしょ?」
「そりゃあ喜んでると思いますよ」
「じゃあ、描きますから喜んでください」
「い、いえ・・あはは、私はダメです」
「あははじゃないですよ。こんな絵、ダメですか」
「いやあ、すてきな絵だと思います」
「じゃあ、モデルになって・・・」
「いや私はダメですよ」
「話がつながらないじゃないですか。『こんな絵を描かれたらイヤでしょうね。私もイヤです』というならわかりますよ。首尾一貫、理路整然です。『こんなすてきな絵を描いてもらったらうれしいでしょうね。私はイヤです』。これっておかしくなですか。言葉に誠意が感じられませんよ。『♪遊女は客に惚れたといい、客は遊女にまた来るという』の世界ですね」
浪花節をうなる私を置いて、彼女は逃げるように画廊を出て行ったのであった。