クリスマスパーティといえるほどのものは経験したことがない。
思い出すのは、小学一年のときの「学級クリスマスパーティ」であるが、なにしろ小学一年のときだから、思い出すのは、といっても思い出せるほどのことはない。
ながつか先生は、なぜそんなとんでもないことを考えたのだろうか。
私の一年生の学級写真は、「浮浪児」の集まりみたいなものだ。
三年生までは、男子は浮浪児の集団風です。
そういう時代に、「皆でクリスマスプレゼントを買って交換しましょう」というのは、ちょっと問題である。
「かもたか市場」へ行って、なにか買ったのを覚えている。
五円か十円だったはずだ。
五円にしろ十円にしろ、給食代や遠足の費用を持ってこられなかった子がいたのだから、苦しい親もいたと思う。
子供にもそういう雰囲気が伝わったのだろうか。
残念ながら、楽しい思い出、という感じではない。
ながつか先生は女の先生で、他の先生からは、ときどき「まさき先生」と呼ばれていた。
不思議であった。
先生はよく休んだ。
二学期からは、他の先生や教頭先生が教えることが多かった。
離婚問題でもめていたようだ。
そういう中での、「クリスマス会」「プレゼント交換」なのであった。
高校のとき、母とバスに乗っていたら、「若草君じゃありませんか?」と女の人に声をかけられた。
知らないおばさんだなあと思っていたら、母が、「ながつか先生!」と言ったので、ははあ、と思った。
私にとっては、「よく休んだ」というのが一番印象に残っている先生だ。
もそもそとあいさつして別れた。
あとで母が、「若草君若草君」と、あんなにかわいがってくれた先生なのに、なつかしくなかったのかと聞いたので驚いた。
なつかしくなかったのはさびしいと思った。