また「十大ニュース」の時期だ。
新聞に、今年は国連加盟五十周年という見出しが出ていた。
五十年前の十大ニュースのトップだろう。
当時10歳の私にとっても、うれしかったニュースの一つだ。子供のころうれしかったニュースに、日本が南極観測隊を派遣するというのがある。
ソ連の人工衛星スプートニクの打ち上げもうれしかった。私の子供時代三大おめでたニュースだ。
宇宙飛行士では、人類初のガガーリンより、女性初のテレシコワさんのほうが印象が強い。「女の人が人工衛星に乗って地球を回ってる」
これはロマンチックであった。
それだけでもロマンチックなのに、テレシコワさんが基地と通信した声を聞いてしびれてしまった。
「ヤー・チャイカ」
「私はカモメ」というのである。
「こちらカモメ号です」、というような単なる通信だったのだろうが、非常にロマンチックに響いた。雑音混じりに聞こえてくる彼女の声に、はるか宇宙の暗闇を、か弱い女性がけなげにもただ一人飛んでいるというイメージを抱いた。テレシコワさんは、か弱くなかったと思うが、そう思い込んでしまった。
「ヤー・チャイカ」がどれだけ好きだったか。「ヤー・チャイカ」という彼女の声が入ったソノシートのついた本を買って、くり返し聞くほど好きだった。
子供時代うれしかったニュースに、「豊作」がある。ラジオを聞きながら夕飯を食べていて、台風がそれたので今年は豊作である、というニュースを聞いてほっとした。
子供にも「食糧難」は浸透していたのだろう。
「捕鯨世界一」もうれしかった。
映画館で見るニュース映画で、日本の捕鯨船団が南氷洋で鯨をとりまくり、ソ連やノルウエーなどを押さえて一位になったというのだ。
捕鯨船団出発もニュース映画で見た。
家族や関係者が日の丸を振って見送る。
私も、心の中で、「鯨をたくさんとってきてください!」と叫んだ。
子供らしいな、と笑ってはいけません。
捕鯨船の砲手の名人の自伝を読んだことがある。
この人は、出発前皇居に招かれている。
皇居の庭で野菜を作っているのを見て、皇室も食べ物には苦労していると思ったそうだ。
天皇から直々に声をかけられてた。
「鯨をたくさんとってきてください」
感激してとりまくった。
ほめてもらっただろうか。
今なら「国民栄誉賞」まちがいなしであるが。