若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

南極観測

日本の南極観測事業が中断の危機というニュース。

文部科学省が、南極観測船「しらせ」の老朽化に伴い、後継船の予算を申請したところ、財務省が難色を示しているそうだ。

私にとって、これまでに一番心躍る話は、「南極観測」である。
小学生の私は、先生から、日本が世界の国々にまじって南極観測隊を派遣すると聞いて、心から喜んだ。
観測船「宗谷」が日本を出発して、赤道を越えたとか、南極海に入ったとか、暴風圏に入ったとかいうニュースを手に汗握って読んだ。

そういう時代だったのであろう。
日本は、戦争に負けた貧しい小さな国だと思っていた。
私だけではなかった。
私より三つくらい上のハジメちゃんが、世界地図を見せて、「日本てそんなに小さいことないで」と言った。
太平洋に浮かぶ島と比べて、ほんとや!と思った。なんとなく、安心したような気持ちになった。

後で読んだ本で、南極観測隊派遣は、当時の偉い人たちが、「敗戦で自信を失った日本の若者に夢と希望を与えよう」という目的で決断されたと書いてあった。
本当に、そんな美しいだけのことだったのかどうかは知らないが、少なくとも私に夢と希望を与えてくれたのは事実である。

当時、もうひとつうれしかったのは、日本の捕鯨船団が、「捕鯨オリンピック」(?)で優勝したことである。
南氷洋でクジラを世界一たくさん取ったのである。
ニュース映画で、鯨をたくさん積んで帰ってきた捕鯨船を見るとうれしかった。

南極観測船「宗谷」が氷に閉じ込められて動けなくなったことがある。
全国民が心配していたと思う。
「宗谷」を救出するために、ソ連砕氷船「オビ号」と「エニセイ号」活躍したのであった。
アメリカの「レインジャー号」も駆けつけたがソ連の方が早かった。
当然、私はソ連ファンになった。

私にとって、戦後最大のイベントは「南極観測」である。
先日、中国が有人宇宙船を打ち上げたニュースを聞いたとき、中国の子供達は喜んでいるだろうなと思った。