若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

兄さんがほしかった

朝のバス停でいつもいっしょになる70代半ばと思える女性を見て、自分の母親を見ているような気がするのはヘンではないかと思う。

私の母親なら、80代半ばがふつうだ。
もう一人バス停で会う女性は、70くらいだと思うが、やはり「母親感」がある。
二人とも、娘さんの家庭を手伝うためにバスに乗って出かけるのだから、「現役の母」であって、それが私に「母親感」を与えるのかもしれない。

年上の女性を見て「母親感」を感じることはあるが「祖母感」を感じることはない。
祖母はいたのだが、甘えるとかかわいがられるという関係ではなかったので、私の中で「祖母感」というか「孫感」が育たなかったのかもしれない。
母が入っている施設で、超高齢女性を見ても、おばあちゃんというより、おかあちゃんと思う。

年上の女性を見て、「姉感」を感じることもない。
私に妹しかいないからか。

あまり考えると、私が強度の「マザコン」であるというまがまがしき事実が明らかになるかもしれないので、この辺でやめておこう。

子供のころ、兄さんがほしいと思ったことがある。
しかし、兄さんというのは恐いものだと知って、それほどほしいとは思わなくなった。

鈴木くんの家で遊んでいて、夕方鈴木くんが私に「電気つけて」と言った。
勉強していた中学生の兄さんが、「和雄!自分でつけろ!」と怒鳴ったのだ。
父は家で大声を出すことなどなかったから、私は兄さんの怒鳴り声にびっくりしてしまった。

よっちゃんみたいな兄さんならほしと思った。
としおちゃんの兄さんだった。
私たちより、ふたつみっつ上だったと思う。
ふつう、中学生になると別世界の人になるのだが、よっちゃんはならなかった。

野球をしたりちゃんばらをしたりする時、よっちゃんがいると楽しいので、よく呼びに行った。
私は、よっちゃんが私たちと遊ぶのを、おばちゃんが嫌っていることをうすうす気づいていた。

よっちゃんが郵便局に勤めたことは知っていたが、長年会わなかった。
私が働きだしてまもないころ、某本局に行った。
倒産した得意先に対する債権放棄の書類を出しに行ったのだ。

窓口によっちゃんがいた。
私たちはなつかしがらなかった。

書類を読んだよっちゃんが、「たいへんやな」と言った。
私は、ウンと言った。
そっけないものだ。
ほんの十数年前、こんな兄さんがほしいと思っていたのに。