朝日新聞の「ひと」欄は、堀田あけみさん。
昔、『あい子16歳』で文芸賞を受賞した人、ということをうっすら覚えている。
1980年のことだったようだ。
堀田さんは、自閉症に関心があって、その方面に進んで大学で教えている。
ところが、自分の子供が自閉症であることを受け入れられなかった。
専門家であるにもかかわらず、子供が幼稚園になるまで、対処することができなかった。
「現実を受け入れることができない」
よく聞く話だ。
私にとっては、母のボケだった。
認めたくないと思っていたという自覚はない。
最近物忘れがひどいな、と思った。
それでなくても心配性の父は、非常に気に病んでいた。
早くから、ボケだと思うと言った。
母を病院に連れて行っていた。
「これは恐ろしい病気で、いずれおまえのこともわからなくなる」
父がこう言った時のことははっきり覚えている。
猛烈に腹がたった。
何を言うのか!
母が私を忘れる?
ばかばかしい!
痴呆症かもしれないが、私を忘れることなどあるわけがないではないか。
そういう例を知らなかったわけではない。
その何年か前にNHKテレビで痴呆症を取り上げていた。
五十年つれそった夫婦が出ていた。
夫が痴呆症で入院していた。
目の前に奥さんがいるのに、「家内はいませんか?家内はいませんか?」と病院内を探し回っていた。
いったいどうなっているのかと不思議に思って見ていた。
それでも母が私を忘れることは想像できなかった。
父があんまりうるさく、痴呆症痴呆症と言うので医者の話を聞きに行った。
「あなたは、自分の母親が痴呆症だという現実を受け入れられないんです」
お!そうか、とあっさり現実を受け入れられるわけではない。
徐々に、しぶしぶ、むりやり受け入れた、というのでもなさそうだ。
現実のほうが私を受け入れた、と言うと何のことかわからない。
現実を受け入れるというのはどういうことかよくわかりません。