ふと思い出しました。
「失業対策事業」
私が、大阪府立高校の2年生のときだったと思う。
図書館と美術教室の入る建物が新築された。
大きな工事だったはずだが、工事中のことは、ほとんどおぼえていない。
たくさんのおじさんたちが、学校に来たことだけをおぼえている。
おじさんたちは、「建築」していたのだと思う。
高校生の私から見たおじさんたちは、のらくらしていた。
ござを敷いて校庭で寝ていた。
誰に教えられたのだったか、おじさんたちは、「失対さん」なのであった。
二階建ての立派な建物が出来上がっていく様子は、全然おぼえていないが、おじさんたちがのらくらしていたことは、はっきりおぼえている。
校庭で絵を描いていたら、おじさんが近づいてきて、「カンデンスキ、知ってるか?」と言った。
「感電好き」と聞こえたが、もちろん、抽象絵画の開拓者のことである。
そして、もちろん、このおじさんと、抽象絵画について話は弾まなかった。
とにかく、おじさんたちは仕事をしているように見えなかった。
誰に教えられたのだったか、「失対さん」は、二人で一人前の仕事をするということだった。
仕事もしたことのない高校生の私であったが、心から納得した。
おじさんたちが「建築」していたのか、のらくらしていただけなのかよくわからないが、建物が完成したのは確かだ。
よかったんじゃないでしょうか。
四十数年前の、古きよき日本である。