若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

私は解剖を見たのか

子供のころの記憶の中で、はっきり覚えているのだけれど、本当にそんなことがあったのかなと、疑問に思うことがある。

たとえば、前に書いた、「DDT散布」。
小学校の校庭で、全生徒が整列して、頭からDDTをぶっ掛けられたことが記憶にあった。近鉄電車に乗るとき、改札口で、DDTをぶっ掛けられたことも鮮やかに覚えていた。
しかし、いくら戦後間もないころで、シラミ撲滅に躍起になっていたとはいえ、そんな乱暴なことをしただろうか、私の思い違いではないかと疑っていた。
インターネットで、大阪駅でDDTを頭からかけられたことを書いている人がいたので、私のこの記憶は正しかったようだ。

小学校のころ、近所の遊び仲間と、時々自転車でかなり遠くまで行った。
「サイクリング」というような、しゃれた言葉はなかったと思う。

小学三年生のときに、自転車を買ってもらった。近所の自転車屋のおじさんが家に持ってきたとき、うれしさ9割、がっかり1割だった。ピカピカの新品ではなく、ペンキ塗りたての中古だったのだ。当時、新品の子供用自転車なんか、なかったのかもしれない。

交通事情が、それほどひどくなかったので、小学生でも「遠征」ができた。
見知らぬ町を走っていると、金網で囲まれた、グラウンドがあった。
かなり広いグラウンドで、真ん中にテーブルのようなものが置いてあって、白い布がかかっていた。テーブルのまわりには、五、六人の男がいた。
金網のところで、何人かのおじさんがそれをじっと見ていた。大人が見物しているのだから、ネウチがあるのだろう。おじさんに、あれは何をしてるのかと聞いたら、「解剖だ」と言った。

「解剖!」

私たちは、金網にしがみついて、テーブルの方を見たが、何をしているのかはわからなかった。
何をしているのかはわからなかったが、帰った私たちは、興奮して、「解剖を見てきた!」と報告した。

非常に強く記憶に残っている。
しかし、グラウンドの真ん中で、解剖なんかするかな。
おじさんにだまされたのか。いや、DDTの件もあるし、近鉄に、「進駐軍専用列車」も走ってた時代だ。グラウンドで解剖もあったかもしれんな。
いや、近鉄に、「進駐軍専用列車」なんか走ってたかな。

う〜む・・・どうでもいいことに頭を使わないでおこう。