今日のNHKTV「新・日曜美術館」は、狩野永徳。
京都の博物館で、狩野永徳の全作品を集めた展覧会が開かれているというので、すごい!と思ったが、全作品といっても十数点だそうです。
信長、秀吉がほれこんだ画家で、豪華絢爛である。永徳作の信長の肖像がある。信長は、ヨーロッパ伝来のものが好きだった。当時、油絵も伝わっている。信長が、キリシタンバテレンの画家に、油絵で肖像を描かせたらどうだっただろうか。
当時、油絵で描かれた肖像画はあった。お坊さんの肖像を見たことがある。
けったいな感じであった。
明治時代、日本人は、がんばって油絵を学んだ。西洋では、何を描いているか。歴史や、神話に題材をとった絵が描かれている。
では、私たちも描きましょう。
菅原道真が、梅の木の前に立って、「東風吹かば」などと歌を詠んでいる場面を描いた油絵がある。織田信長が、家臣に何事か告げている油絵もある。
和気清麻呂が、神託を受けている油絵もある。すべて、ヘンテコである。
玉手箱を抱えた浦島太郎が、大海原を行く亀の甲羅にすっくと立って、亀のまわりを人魚(?)が取り囲み、後方では見送る乙姫様が手を振っている油絵がある。奇妙奇天烈である。
宣教師と共にやってきた絵描きが、織田信長を油絵で描いたら、けったいな肖像画ができたであろうか。
小出楢重は、油絵で「日本」を描くのに悩んだ。悩んだあげく、「セザンヌを日本に連れてきて、四畳半の室内を描かせてみろ!」と、わけのわからんことを叫んだ。
狩野永徳には、「油絵の具」の悩みはなかった。秀吉に追いまくられるのが悩みだった。
番組で、永徳が、絵を注文してくれた人に出した詫び状を紹介していた。
秀吉が次々と描かせるので、他の人の注文まで手が回らなかったのだ。
わがままな権力者にほれこまれるのも、ありがた迷惑である。
聚楽第の襖絵など、大作がほとんどなので、徹夜作業の連続だった。
仕事のし過ぎで、48歳で死んだ。
これがホントの、過労永徳ですね。