六年は、「持ち上がり」だった。
「持ち上がり」は、先生の業界用語でしょうか。
生徒から見ると、「持ち上がられ」ですね。
K君の家に遊びに行った。
かなり遠かった。
二人で、漫画を読んでいた。
『日の丸』とかいう雑誌だったように思う。
K君のおかあさんは、私と顔を合わせたくないと思っているような感じがした。
控えめというか、日陰の存在というか、子供心に何となくひっかかった。
おかあさんが、「かんとだき(おでん)」を買ってきてくれた。
私たちの前に出すのにも、近寄らず、遠くはなれたところから、手をうんとこさ伸ばして、皿を押しやるという感じだった。
さびしそうな、不幸な人、という気がした。
もうすぐ卒業式というころ、K君と二人で、「つき山」にいた。
校門を入ったすぐのところに、「つき山」というのがあったのだ。
まあ、非常に小さな小さな山である。
「頂上」には、二宮金次郎の石像があった。
将来の夢を語り合ったわけではないと思う。
「将来」のことなんか考えたこともなかったから。
しかし、「将来」の話になったようだ。
私は、K君は有名な喜劇役者になるんじゃないかと思った。
で、K君に、「有名になったらサインしてや」と頼んだ。
K君は、いつものニコニコ顔で、「よっしゃよっしゃ!」と言った。
そして私に、「おまえ、社長になったら、雇てや」と言った。
しゃ、社長!
期待の大きさに押しつぶされそうになった。
「あのねー、小学校でちょっと成績がいいくらいで・・・」などと言えるほど現実的な子供でもなかったが、社長は荷が重いと感じた。
しかし、サインをOKしてもらった行きがかり上、私も引き受けざるを得なかった。
「つき山の誓い」である。
中学が別々になって、私はそれっきりK君のことは忘れてしまった。
薄情なもんだ。
高校三年生の私が、部屋で受験勉強していたら、母が新聞を持ってバタバタとやってきた。
顔を曇らせて、記事を指しながら、「これ、K君とちがう?」と言った。
たしかに、K君の名前だった。
暴力団の抗争で、日本刀で切られて死んだと書いてあった。
とっさに、K君のおかあさんのさびしそうな姿を思い出した。