若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日曜画家

このところ毎日のように絵を描いている私でも、「日曜画家」といえるだろうか。

毎日が日曜日な私だから、日曜画家かもしれない。

散髪屋さんは、月曜が休みだ。
趣味で絵を描く散髪屋さんは、「月曜画家」である。
引退した散髪屋さんは、「毎日が月曜日」である。

「日曜画家」というのは、趣味で絵を描く人の代名詞のようなものだから、月曜定休の人でも、水曜定休の人でも、「日曜画家」と呼んでいいかもしれない。
いいかもしれないが、呼ばれる方は違和感があると思う。

不規則な勤務の人がいる。
警察、消防、交通関係などに勤める人で、趣味で絵を描く人は、不規則画家か。

私が通っている人物画教室は、水曜日にある。
生徒の女性のほとんどは、教室でしか描かないという。
水曜画家である。

私が、毎日のように描いているというと、驚かれる。
そんなヒマはないという。

嫌味な言い方である。
私だって、ヒマをもてあましているわけではない。
本も読むし、ギターの練習もするし、テレビ体操もするし、まあ、一番多いのは、思索にふけることだが、ボーっとしているかのように誤解されるのがつらいところだ。

いずれにせよ、人物画教室の女性たちは、私みたいに、「行ってきまーす」と、気楽に家を出られるわけではないようだ。
直前まで、バタバタと片付け物に追われて、今日は休もうかな・・・いや、行こう!と決意して、思い切って出てくるというような話を聞くと、恵まれた環境にある私は、ますますがんばって、いい絵を描かなければならないと思う。

思うが、いい絵は、そう描けるものではない。
正岡子規は、俳句について、生涯に十句名句を残せれば名人だといった。

ある絵描きさんは、プロ野球を持ち出している。
打率3割なら一流打者だというのだ。
10枚描いて、3枚がまあまあなら上等だという。

なるほど、とも思うし、なんかちがうな、とも思う。
ピッチャーが、打たれてなるものかと投げ込んでくる球を打つのと、絵を描くのとはちがう。

モデルになった家内や娘たちは、私にいい絵を描かれてなるものかと、白目をむいたり舌を出したり、天井を向いて、腕を振りながら大声で歌ったりするわけではないから、いい絵が描けないのは、不思議と言ってもいいし、何の不思議もないと言ってもいい。

こういうことを色々考えているので、私も結構忙しいのです。