若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

死んでからどこに行く

昔々の人は、極楽浄土を、どの程度信じていたのだろうか。
どんな場所か、徹底的に討論されていたのだろうか。
なんとなく、ぼんやりと、頭に浮かべていただけだろうか。
「信じる」と言っても、その程度のことかもしれない。

「往生伝」というジャンルが流行った。
唐のお坊さんが始めたようだ。
「私たち頭のいいエリートは、お経を読んだら、往生について納得できるが、読んでもわからない人がいる。そんな人でも、往生した人達を紹介してあげれば、得心するだろう」

えらいお坊さんが往生した話に始まり、しばらくすると、普通の人でも往生できますという話になり、ついには、こんな悪い奴でも往生してますよという話になる。
貪欲極悪非道のワルでも行けるのだから、ぼくたちも大丈夫。
こういう本はヒットしますね。

しかし、究極の「往生伝」は、三善為康著『拾遺往生伝』だ。
この本の中で、為康は衝撃の告白をした。

「諸先輩方多々おられます中、はなはだ僭越ではございますが、このたび、私、阿弥陀如来のご指名により、極楽往生させていただくこととなりましたので謹んでご報告申し上げます」

夢のお告げがあったというのだ。
あったというだけではない。
四天王寺に参篭して、ちゃんと確認したのだ。

この本がベストセラーになって気をよくしたからかどうかは知らないが、為康は、『続拾遺往生伝』を書いた。
その中でも、衝撃の告白をした。

惟宗遠清という人が、為康往生の夢を見たというのだ。
自分で見ただけではなく、公平な第三者も見た。
これで私の極楽往生は間違いありません!と高らかに宣言した。
平安時代の人ですが、今すぐテレビに出られますよ。

さて、『日本仏教史:古代』の著者速水侑さんは、後書きで、この本の出版前に、恩師二人があいついで亡くなったことを嘆いている。

「完成のおりにはまず両先生の高批を仰がんとの当初の願いはすでに空しく、今はただありし日の温容をしのびつつ、問うもいらえなき両先生の奥津城に本書を捧げるのみ。白玉楼中の両先生は、このつたない書を、微笑をもって読み捨てられるであろう」

「白玉楼」は、天帝が作った御殿で、文人が死後集うとされたころ。

夢の中で師匠に、「あんた、極楽往生できたんですか」と失礼なことを聞く弟子とえらいちがいだ。
速水さんの勝ち。