若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

速水侑『日本仏教史古代』

昔々、極楽へ行くのが流行った。

お坊さんが、極楽というところがあると言い出したのだ。
当時のお坊さんは、今で言うなら、先端科学技術大学院大学教授みたいなものだ。

ノーベル賞を狙えるほどの教授たちが、口をそろえて、何の悩みも感じない素晴らしい世界があると言い切るのだから、行きたいと思うのは当然だ。

どうしたら極楽へいけるのか。
皇族をはじめ、政財界の大物たちが、寺や仏像を作りまくる。
イチローも、ヒット一本打つごとに、これでまた一歩極楽に近づいたと思う。
「水泳の北島選手、オリンピックに向けて決意の程を」
「そうですね、金メダルをとって、極楽往生できるようがんばります」

必死の努力を重ねた。
源信は、阿弥陀念仏を二十億回唱えたばかりか、阿弥陀大呪百万回、千手陀羅尼は七千万回、「阿弥陀経」を一万回読み、仏像を彫り写経をした。

どうやって数えたのかはさておき、そこまでがんばって結局のところ、源信は極楽へいけたのか。
それが問題だ。

たとえば、臨終の時、空に紫の雲が漂ったとか、室内に素晴らしい香りが満ちたとか、そういうことがあれば、「行ったな!」と、かなり説得力があった。

何もなかったら、どうする。
夢のお告げが決め手になる、というか、それしかない。

当時の、「極楽往生同好会」では、メンバーの間で約束をしていた。
極楽往生したら、絶対に夢に現れて報告すること。行けなかったとしても、報告だけはしよう!」

さて、あの阿弥陀念仏二十億回の源信が死んでから、弟子の夢に現れた。

「お師匠様!極楽往生できたんですか!?」
「むむ、できたような、できんような・・・」
「そ、そんなたよりない!」
「苦しみがないので、できたように思うが、阿弥陀様をえらい人達がとりかこんで、ワシなんか近寄れんのや」
「で、私は極楽往生できるでしょうか」
「まあ、無理とちやうか」
「(-_-;)」

この弟子も、源信に劣らぬ立派なお坊さんだった。
この人も死んでから自分の弟子の夢に現れた。
そして、「私は極楽往生できたが、おまえには無理だ」と宣告した。

いやな坊さんたちですね。

はじめは、こういう、えらいお坊さんが極楽へ行った話がはやった。
そのうち、『極楽へ行ったフツーの人20人』とか、『彼らはこうして極楽へ行った!今すぐ役立つ実例集』というような本が出るようになる。