ジュリー・マネの日記である。
マネの娘さんかと思ったら、ちがった。
マネの姪だ。
マネの弟と、印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾの間に生まれた一人娘だ。
まず表紙の絵に驚く。
ルノワールの絵ということはすぐわかる。
こちらを見ている少女が、日記を書いたジュリー・マネ。
その前で、疲れ果てたような横顔を見せている白髪の女性が、ベルト・モリゾだとは。
あの、マネの傑作「スミレの花束のベルト・モリゾ」に描かれた魅力的な女性の、二十年後の姿だ。
時の流れは残酷である。
このとき、ベルト・モリゾは病弱な夫を亡くし、悲しみに打ちひしがれ、自らも病におかされ、死期の近いことを悟っている。
病苦と、娘を残していくつらさに放心状態なのだ。
よき友人であったルノワールが、母と娘の姿を描き残してやろうと筆を取ったのだろう。
ルノワールには荷が重いテーマだが、まあまあの出来だといえる。
十代半ばで両親を失ったジュリーが、両親の友人たちや一族の人々に支えられ、しっかりと生きていく様子がつづられている。
1890年代半ばから十年足らずの日記だ。
印象派の人々のことを書こうとしたわけではないが、周囲が印象派の人ばかりだから、そうなってしまう。
ジュリーも母のような画家になりたいと願っている。
ルノワールやドガに絵を見てもらえるのだから、ぜいたくなものだ。
ルノワールもドガも、相当な偏屈おやじで、しょっちゅう喧嘩しているが、ジュリーに対しては申し分のないおじさんたちだ。
ジュリーは、ルーブル美術館に、模写にも通っている。
ルーブルで、ダ・ヴィンチを模写する背の低い日本人を見かける。
彼の絵があまりに日本式なので笑ってしまった。
「日本式ダ・ヴィンチの模写」とは。
誰ですか、ジュリー・マネに笑われた日本人画家は。
他人事とは思えません。
いろんな人が出てくる。
ドガの家政婦は、料理がまずいので有名だったそうだ。
料理のまずさで後世に名を残すとは。
しかし、ドガには献身的に尽くし、とくに嫌な客を追っ払うのは得意中の得意だった。
料理がヘタで客を追っ払うのは得意。
どんなおばさんか、何となく想像がつきますね。
ルノワールがジュリーにこんなことを言っている。
女性は隠しているのが美しい。目だけ出しているイスラムの女性がいい例だ。
えーかげんにせーよ。
裸を描きまくったくせに。