朝日新聞奈良版。
「世界的に広がっている新型の豚インフルエンザの終息を願い、奈良市の春日大社にある水谷(みずや)神社で『疫病退散祈願』が始まった。同神社は、医薬の神様として知られ・・・毎日10人前後の神職が、神殿の周りを祈念しながら巡るお百度参りを繰り返している」
これでなんとかなる!と思う人は少ないだろう。
無駄だからやめなさい、という人も少ないだろう。
子供の頃、近くの神社の境内でよく遊んだ。
「お百度石」というのがあって、なんだろう?と思っていた。
その後も、「お百度参り」というのは、言葉の上だけの話であった。
長女が生まれて、初参りに石切神社に行った。
かなりメジャーな神社である。
昔は「でんぼ(おでき)の神さん」、今はグレードアップというかバージョンアップというか、「がんの神様」として有名である。
その時、小雨降る石切神社の境内で、初めて「お百度参り」を見て驚いた。
数十人の老若男女が、小走りに「お百度石」の周りを黙々と回っていたのだ。
「ザッザッザッ!」という砂利の音が響いていた。
赤ん坊を抱いている人もいた。
厳粛なものを感じました。
数十人の集団が、ものも言わず、ぐるぐる走っているのは、異様と言えば異様であったが、それだけに、切羽詰ったものが伝わってきた。
石切神社で見た「お百度参り」は、厳粛で、切羽詰ったものであった。
水谷神社の、「疫病退散祈願お百度参り」も、厳粛なものなのだと思う。
東大寺の「お水取り」も、国家安泰を祈る厳粛なものだが、たいまつを振り回して喜んでる印象の方が強い。
昔はこっちも、切羽詰ったものがあったのだろう。
疫病退散祈願も、厳粛な行事ではあるが、切羽詰った感がないのがつらいところだ。
切羽詰る方は、「国立感染症研究所」あたりに引き受けてもらってる。
完全分業制というのが水谷神社の弱みだ。