若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

祈る人

会社の近くに神社がある。
朝8時ごろその前を通ると、手を合わせて祈っている人たちがいる。
拝殿の前で祈る人、鳥居から祈る人、ちょっと手を合わせて去っていく人、身じろぎもせず祈り続けている人。

祈る人が気になりだしたのはいつごろからだろうか。
子供ができてからのように思う。

長女の初宮参りに石切神社に行った。
ここは、「おできの神さん」であったのが「ガンの神さん」にグレードアップして、たいそうはやっている神社だ。
この時初めてお百度参りをする人を見た。
何十人という人が駆け足でお百度石を回っていた。
赤ん坊を抱いている人もいた。
ザクザクと砂利の音を響かせて回っている。
悩みが渦巻いているような光景だった。

「祈る人」に共感のようなものを感じたのはこのときが初めてだ。
ただし、娘の「初宮参りご祈祷」は、あまりにも商業的、大量生産的、流れ作業的で、ありがたみがなかった。

会社の近くの神社は小さな神社だ。
そこで高校生の女の子が手を合わせている姿は可愛いもので、悩みも可愛い悩みだろうなどと思ってしまう。

長く祈っている人ほど深刻な悩みを抱えているように見える。
しかし、自転車の前と後ろに小さな子を乗せた若いお母さんが、猛スピードでやって来て、拝殿の前で自転車をとめて、大急ぎで自転車から降りて、ぱっと手を合わせて一礼するとまた急いで自転車に乗って猛スピードで去って行く後姿を見ていると、祈りの時間は短いながら、切羽詰った必死の思いが感じられる。

次女と長男はこの神社で初宮参りをした。
小さな拝殿にいるとなんとなく頼りない不安な感じがする。
神主さんが、いかにも学生アルバイトという感じの頼りなげな若者で、祝詞を上げる声も小さくて頼りなければ、読み方もたどたどしく頼りない。

すべてがあまりに頼りないので、この赤ん坊はとんでもなく頼りない世界に生まれてきた頼りない存在で、親である私たちも頼りないものであるから、神様にお祈りするしか手がないな、と実感した。

手ごろな、いい神社です。
鴨高田神社と言います。
子供たちは、罰当たりにも「カモジン」と言ってました。