若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

線路をはさんで

朝の駅で。

階段を上がってプラットホームを歩いて行く。
中ほどで若い女性が、ケイタイでメールを打っている。
向こうから男がその女性の方に歩いてくる。

それほど混み合っているわけではないから、女性をよけて通ると思ったら、男は「どけっ!」と言わんばかりに女性を押しのけた。

驚いて顔を見たら、あのおじさんだった。
70くらいで、いつも紙袋を提げて、電車に乗るとプラスチックのS字型ハンガーをつり革の取っ手にかける人だ。
「おかしい」人だが、それほど迷惑になる人ではない。
いつもニコニコしているのに、今朝は非常に機嫌の悪そうな顔だった。

私の定位置で電車を待っていると、向こう側のホームに高校時代の友人S君がいるのに気づいた。
彼が東京出張のときこの時間にいっしょになる。
彼も気づいた。
二人で手を上げた。

気まずい。
線路をはさんで会うのはなんとなく具合の悪いものだ。

本来なら
「また東京に遊びに行くんか」
「あほか。会社で寝てたらあかんぞ」
などと言い合う二人が、薄笑いを浮かべて黙って見合っている。

気まずい。

十数年前、近所の奥さんとこういう形で出会ったことがあった。
この奥さんは面白い人で、このとき小学生の娘さんといっしょだった。

私を見つけると、大きく手を上げて、大阪方向をキュッキュツと指して、声を出さず、口を大きく開けて無茶苦茶に動かした。
口を大きく開けて無茶苦茶に動かすと顔全体も無茶苦茶に動く。
見ていて恥ずかしい。

大阪へ行くんですか、と言っているのだな、と思った。
で、私は薄笑いを浮かべて、周囲に気兼ねしつつ、小さくうなずいた。

すると奥さんは、確認するかのように、よりオーバーに同じ動作を繰り返した。
周りの人が笑っていた。

私はまた小さくうなずいた。
すると奥さんは、今度は奈良の方に腕を上げて大きく振って、また声を出さず、口も裂けよと大きく開けて無茶苦茶に動かした。
またも顔全体が無茶苦茶に動いた。
この奥さんの顔面の筋肉の柔らかさがよく分かった。

「私は奈良に行くんですよ」と言っているのだな、と思った。
私は仕方なく、分かりました、と言うつもりで小さくうなずいた。

すると奥さんはまたもや大阪方面に腕を振り上げたが、隣に立っていた娘さんがいたたまれず腕を押さえて下ろしたので、私は口パク会話から解放されたのであった。