きのうは私の誕生日でした。
そして、きのうの午後、大阪梅田の「ANAクラウンプラザホテル」で、90名ほどの方のご列席を賜り、お祝いしていただいたのであるが、これが私の誕生を祝うための集いなら、人望人徳のほどが偲ばれようというものだが、残念ながらそうではなく、息子の結婚式なのであった。
私の誕生日と、息子の結婚式が重なったのだ。
ただでさえ、このところ急速に「めでたさ」が薄れ、存在意義、というより、存在そのものが、私を含め人々の頭から消えようとしていたところの私の誕生日が、今年は、息子の結婚式をぶつけられたため、息の根を止められたというか、まったくかすんでしまったのであった。
母がぼけて以後、家内が私の誕生日の護持者であったが、これからは、家内にとって「6月20日」は、「息子の結婚記念日」ということになるだろう。
そのついでに、私の誕生日でもあることを、かすかにでも思い起こしてもらえたら、望外の喜びでございます、ということになる。
この先、私一人で、誕生日を守っていかなければならない。
これは、このところ、誕生日を粗略に扱ってきた報いですね。
「誕生日の逆襲!」
さて、息子の結婚である。
大学二年生のとき、同じゼミの女性が奈良見物に来たということで、我が家につれてきた。
夕食を共にして帰って行った。
私は、感じのいい娘さんだなと思ったが、家内が、「あの子、お嫁さんになってくれないかしら」と言ったのには驚いた。
話が飛躍しすぎでしょう。
母親というのは何を考えるかわからんなあ、と思ってるうちに、きのうになったは不思議である。
披露宴も、いろんなことを考えるもんです。
花嫁さんのお色直しに、母親がついていくのはよく見るが、きのうは、新郎のお色直しに家内が指名された。
家内はびっくりして戸惑っているように見えたが、いそいそと息子の元に走り、息子と腕を組んで、でれでれとうれしそうに歩いた。
去年、次女の結婚式で、次女と腕を組んでバージンロードを歩く私の顔面は引きつり足はもつれていたと散々冷やかされたが、いい勝負ですよ。
披露宴の最後に、司会の女性が、「本日は、新郎様のお父様のお誕生日です」と紹介してくれた。
それと同時に、会場に「ハッピーバースデイ」の大合唱が沸き起こるというようなことはなかったが、まあ、紹介してもらっただけでも満足であった。