若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

衆議院選挙総括

大上段に振りかぶって天下国家を論じるという私の悪い癖が出て、三回連続で衆議院選挙の結果について論じてきたが、いつまでも続けるわけには行かないので、今日はその総括ということにしたいが、その前に少しだけウチの孫について書いておきます。

お産は分娩室ですると思っていたら、今回お世話になった産院は「LDR」すなわち、「陣痛、分娩、休息室」。

分娩直前まで、家族が付き添っていられる。
娘のおなかに「陣痛測定器」が取り付けてあって、ベッドの横の記録装置から、陣痛の数値がグラフになって刻々と出てくる。

最高値は「120」。
はじめ、数値が「20」近くなると痛がっていたが、徐々にそれくらいでは痛いといわなくなり、最高値も「90」くらいだったのが、いつの間にか「120」を記録するようになった。

娘に状況を知らせてやろうと、私は、グラフを見ながら、「今70を超えたぞ!」「100突破!120!」などと叫び続けていたのだが、お産の後、娘に「あれはうるさくてしかたなかった!イライラした!」と怒られた。

これから娘さんの出産に立ち会うお父さん、参考にして下さい。

娘のお婿さんと、私たち夫婦で、痛がる娘の腰などを、手の皮がすりむけるほどさすり続けていたのだが、これも出産後、娘から、私たちのさすり方はだめだったといわれた。
助産師さんのさすり方は、場所、強さ、方向とも、その状況にぴったりで、私たちとは全然違ったそうです。

愛情とか心より、技術と経験なのか。

まあ、この世界で、何が頼りになるといって、経験豊かな助産師さんほど頼りになる存在はないのではなかろうか。
娘のお産は担当してくれたのは、この産院の婦長さんで、肝っ玉母さん的風貌、厳しさと優しさを兼ね備えた、助産師中の助産師、この人にお任せすればだいじょうぶ!と思える方であった。

それにひきかえ、時折現れるお医者さんは、三人の子供もある経験豊かなドクターとの事であったが、婦長さんと並ぶと月とスッポン、貫禄が違うという感じで、大変失礼な事ながら、「センセー、じゃましないであっちで休んでてください」といいたくなるのであった。

十時間以上にわたる産みの苦しみを経て、オギャーと生まれ出た瞬間、立ち会っていた助産士さんたちがいっせいに「オーレ!」と歓声をあげて踊りだした。

何がいいたいかというと、これがホントのサンバです、といいたいのです。