だいたい、3時間おきに、おっぱいを飲んで寝て、という繰り返しで、あとはまあ、おしっことうんち、というはなちゃんでございます。
これという芸もないのに、見飽きないのは不思議である。
数少ないパフォーマンスの中で、「げっぷ」は、なかなかいい感じです。
おっぱいを飲んだあと、私の肩のあたりに抱いて背中をさすってやると、「ハアハアゼロゼロ」あえいでから、「ゲフキュウ〜!」てな妙なる音を出します。
さて、生まれてから3週間、はなちゃんは、パッチリお目々を開いてますが、何を見ているのでしょうか。
「見る」というのは、複雑な作業です。
母がぼけて、そう思った。
単純な作業が、複雑にからまってるといってもいい。
目がパッチリ開いてるだけでは、「見る」にならない。
ぼけが進むにつれ、母は私を認識できなくなった。
目は開いて、私をしっかり「見ている」のに、わからない。
母に、「ボクは鹿之助ですよ」といったら、目を丸くして、「そうですか、ウチの息子といっしょですね」と答えたことがある。
母は、私を見ていたといえるのだろうか。
母の目は私をとらえていた、とはいえる。
はなちゃんは、天井を見ていることが多いように思う。
というか、目を天井に向けて、天井までの距離を感じているように思う。
空間を意識し始めてるように思う。
「ふ〜ん、これが空間というやつか」と思ってるわけじゃない。
「空間意識を確立しつつある」かな。
まあ、かなり高度で難しいことをしてるのは確かだ。
はなちゃんにとって、私はもとより、母親も今のところ眼中になさそうだ。
なんとなく、外部世界の感触を味わっているのではなかろうか。
母親はじめ、人間もその一部。
もうしばらくすると、「外部世界」から、母親をはじめとする人間が、はがれおちてくるのではなかろうか。
はなちゃんの積極性が感じられるのは、おっぱいに吸い付く時だけですね。
母親のおっぱいには、首を激しく左右に振って、スッポンのように吸い付きます。
私は、自分の三人の子供のときは、これが面白くて、子供のほっぺたに、よく小指をくっつけたものです。
私の指を乳首とまちがえて、激しく首を振って吸い付いてくる。
家内に、きたないからやめろと、怒られたもんです。
はなちゃんには、する気がしない。
少しはおとなになったということでしょうか。