最近、りんごをむきます。
生まれてはじめてというわけではありません。
小学生のころは、りんごを丸ごとむいて、皮が最後までつながっているようにがんばったものです。
最近、また自分でむくようになったのは、りんごを、皮をむかずに食べたいからだ。
家内は全部むいてしまう。
私は、皮ごと、シャキッ!と食べたい。
で、自分でむいて、自分の分だけ、皮つきにする。
家内は、皮には農薬が残っているから食べない方がいいという。
素人ですね。
私みたいな食通にとっては、りんごの甘みと残留農薬の苦味が、何ともいえない味わいである。
特に好きなのは、アメリカ、モンサント社の「インセクトキラー:サドンデス206XL」だ。
こいつの、舌を刺すような苦味がクセになる。
これで、りんごの甘みが一段と引き立つ。
今日は、母の一年祭、仏教でいう一周忌。
私が子供のころ、母は、りんごの皮と実の間に栄養があるといっていた。
皮と実の間に栄養が潜んでいる・・・。
なんだか、そんな感じがした。
母は、「もったいない派」であったから、皮を捨てるのがイヤだったのだと思う。
母のりんごは、「ウサギ」だった。
小学校は給食だったが、幼稚園、小学校、中学校、高校と、母の弁当だった。
りんごが入ってると、必ず「ウサギ」だった。
だから、私にとって、りんごは「ウサギ」だった。
高校のとき、弁当を食べてたら、「ウサギ」のりんごを誰かに冷やかされた。
幼稚園児の弁当みたいだというのだ。
誰かだけでなく、みんなそう思っていたようで、ワイワイ冷やかされた。
りんごは「ウサギ」と思っていた私には、思いがけぬ事態であった。
そういわれれば幼稚園児みたいだと思って、帰ってから母に、なぜりんごを「ウサギ」にするのかきいたら、おかしそうに笑って、「いいやないの」といった。
その後もずっと、母のりんごは「ウサギ」でした。