夫婦といえど、しょせん他人です。
30年いっしょに暮らしていても、理解し合えないこともあるし、許せないこともある。
ウチのように、二人共理屈が先に来る同士だと、思想的対立から激しい論争に至ることもある。
私は、りんごは皮のまま食べたい。
家内は皮をむく。
私は、りんごの皮をむいて食べるというのが、理解できない。
家内は、皮のまま食べるのが理解できないと言う。
断絶です。
断絶ですが、やはり、りんごは皮のまま食べるもんでしょう。
私だって、何でもかんでも皮のままというのじゃありません。
柿は皮のまま食べない。
梨も皮のまま食べない。
桃も皮のまま食べない。
バナナも皮のまま食べない。
グレープフルーツも皮のまま食べない。
りんごは皮のまま食べる。
自然じゃないでしょうか。
りんごは皮のまま食べるようにできているといっていいでしょう。
この理屈が家内にはわからない。
何度も説得論破しようとしましたが、もうあきらめました。
理解し合えないまま別れの時を迎えることになると思います。
ひょっとすると、最後の瞬間、私の手を握って、「やっぱり、りんごは皮のまま食べるべきだったわ!」と涙ながらに許しを乞うかもしれない。
乞わないかもしれない。