劇作家の、つかこうへいさんが亡くなった。
井上ひさしさんに続き、日本演劇界にとって大きな損失である。
ということだと思うが、演劇に無縁の私には、よくわかりません。
カネを払って芝居を見たのは、何年か前の歌舞伎見物が最初で最後だ。
結婚する前だったと思うが、父と「村田英雄特別公演」に行ったことがある。
銀行の「お客様ご招待」だったから、カネは払ってない。
出しものは「王将」で、村田英雄が坂田三吉を熱演したはずだが、何もおぼえてません。
お芝居の「王将」のあとが、「ヒットパレード」で、もちろん最後に「王将」を熱唱した。
熱唱をおぼえているわけではないが、父が、「やっぱり最後に『王将』を歌うんやなあ」といったのをおぼえてる。
熱演も熱唱もおぼえてないけど、「ヒットパレード」の伴奏が、管楽器だけだったのはおぼえてる。
安くあげるためなのか、それとも村田英雄さんの好みなのかと頭をひねった。
芝居の照明係をしたのは、高校のときが最初で最後だ。
文化祭で、私達のクラスが劇をすることになった。
どういうわけか、私は「照明係」になった。
私は美術部で、そっちが忙しかったから、クラスのことに関わる余裕はなかった。
どういう劇をしたか全然おぼえてないけど、当日、照明係として舞台の袖にいたことはおぼえてる。
たぶん、始まる時に照明のスイッチを入れて、終わる時に消すだけだったんでしょうな。
芝居に出たのは、幼稚園の時が最初で最後だ。
「ベツレヘム」という言葉をおぼえてるから、クリスマスに「キリスト降誕劇」でもやったんでしょう。
何人かで、頭から風呂敷をかぶって出演した。
救いの御子の誕生を祝うパレスチナの人、という役だったのでしょう。
これから舞台に出るというときに、風呂敷をうまくかぶれなくてもたもたして先生に叱られた。
久しぶりに私の脳に聞きたい。
60年も前のこんなしょーもないいやなことを、なぜ思い出すのだ。