暑いです。
かんかん照りの暑さというと野球です。
高校野球じゃなくて小学生の野球です。
五十数年前、私は元気でしたね。
かんかん照りの太陽の下、野球に熱中してました。
熱中しながらも、「なぜ夏に野球をするのだろうか?冬にすればいいのに」と思ったものです。
本屋で見つけた『回想 子規・漱石』の、「子規居士と余」は、かんかん照りの太陽の下の野球から始まる。
高校生の野球でもなく小学生の野球でもない。
中学生の野球です。
中学生だった虚子たちが、ある夏の日、松山城の北側の練兵場で「バッチングを遣っていると、其処へぞろぞろと東京がえりの四、六人の書生が遣って来た。」
生意気盛りの中学生だから自分たちもいっぱしの「書生さん」のつもりだったが、東京帰りにはかなわない。
かっこいいなあ、と見とれていたら、中の一人が「おいちょっとお借しの」とバットとボールを借りに来た。
渡すとその人は「書生さんグループ」のリーダー格と思える男に渡した。
リーダー格の男がノックを始めて、しばらく本場のバッチングを見せてくれた。
終わると書生さんたちは道後温泉のほうへ去って行った。
その時ノックをしていた男が子規だったと後にわかった。
一読、なんだか映画の出だしの一場面を見ているようで愉快でした。
虚子は、子規を通じて漱石を知る。
漱石は、「子規という男はいつも自分が先生のつもりでいる」とおもしろがっていたそうだ。
漱石が俳句を見せると子規が直す。
俳句を直されるのはしかたがないと思うが漢詩を見せても直す。
これには漱石もカチンと来て、英文を見せた。
いくら子規が先生のつもりでも、漱石の英文を直すことはできないでしょう。
子規はどうしたか。
「Very good」と書いてよこしたそうです。
『ホトトギス』を発刊したころの虚子にとって、漱石は優れた先輩であり立派な英文学者だった。
俳句に関しては自分がちょっと先を行っているという感じの、なんの利害もないいい関係だった。
ところが、虚子のすすめに応じて書かれた漱石の『吾輩は猫である』が『ホトトギス』に掲載されるや、一躍注目を浴びることになって、あれよという間に漱石は人気作家になってしまった。
『ホトトギス』も、漱石の『猫』が掲載されると売れ行きがいい。
虚子と漱石の関係は、「雑誌の編集者」と「人気作家」の関係になっていった。
漱石は『ホトトギス』を大事にしてくれたが、それでも「執筆をお願いする編集者」と「お願いされる人気作家」という雰囲気はどうしようもなかったようだ。
漱石は自分の弟子たちの作品を『ホトトギス』にのせてやってくれと頼んだりするようになる。
虚子はいやいや引き受けざるを得ない。
虚子にしてみれば、なんでこうなっちゃったんだろう?という感じだったでしょう。
大人になるといろいろ難しい。
練兵場で野球してたころがなつかしかったでしょうな。