「学びて時にこれを習う。また楽しからずや」というのは、なんだかよくわからんがなんとなく共感できる言葉だと思います。
よくわからんままに共感するのが私の特技というか悪い癖というか困ったものかもしれません。
エレキギターを長年習いました。
仕事をやめてからは、料理、人物画、デッサン、乗馬、お稽古事に忙しい。
こういうお稽古事のいいところのひとつは、「私はダメな男だ」とわからせてもらうことですね。
私もまた、皆様方同様、「私は正しい!絶対に正しい!」と思い込んでる人間です。
お稽古事では、その思い込みが、見事に、あっけなく、簡単明瞭に打ち砕かれる。
技術、ウデというのはよろしい。
口では負けてませんよ。
口から出まかせには自信があります。
ウデから出まかせ、というのはないんですね。
どういうわけかない。
「ギターをむせび泣くように弾く」というのは私の口でも言えるんですが、私のウデでギターをむせび泣くように弾くことはできない。
ギターの先生のウデの良さ耳の良さに感心すると同時に、自分のウデと耳のお粗末さにも感心する。
「あんたはダメだ」と言われるのは気持ちよろしい。
マゾ気があるのかな。
みんなそうかと思ってたら、ちがうんですね。
ギターの先生が、「中高年男性を教えるのは難しい。プライドが高い。習いに来てるのに教えられるのがイヤなんですね」と言ってました。
いろいろお稽古事して、なるほど、と思いました。
料理教室で、砂糖が固まってると言って、先生を叱ってるおじさんがいた。
その人は、先生のことを自分の部下だと思ってましたね。
乗馬クラブで、指導員から色々言われるのが気に入らないおじさんたちがいます。
70代と思える男性で「怒られてばっかりや。どっちが客かわからん」と言ってすぐやめた人がいました。
「客」か「生徒」か難しい問題です。
それほど難しい問題じゃなくても難しい問題があります。
人物画教室唯一の先輩男性Nさんは、70代の謹厳実直という感じの紳士です。
人物が教室に入って最初に驚かされたのがNさんのパレットでした。
油絵具全色を1センチほど出して綺麗に並べてる。
終わると綺麗に拭き取って、次回はまた全色並べる。
絵の具というのは、ふつう10色も使いません。
なぜ全色出すのだろうか、なぜ先生は注意しないのだろうかと思ってました。
何ヶ月か後、先生が注意しました。
絵の具を全部出す必要はない、基本の何色かでいい。
Nさんは、「はい!はい!」とかしこまって聞いてました。
その次の週、教室に行って驚きました。
なんと、Nさんは、いつものように全色1センチずつ並べてたんです。
何ヶ月か後、先生がまた注意しました。
Nさんはまた、「はい!はい!」とかしこまって聞いてました。
その次の週、以下同文。
これはもうプライドとか、教えられるのがどうのとか、客か生徒とかいうような次元の話じゃないですね。
今もNさんは真面目に教室に通い、先生の注意を真剣に繰り返し毎週のように右の耳から左の耳へと通過させ、温厚な先生をイライラさせてるんですよ。
私は、教室では先生に絶対服従です。
家では奥さんに絶対服従。
それで間違いナシ!
↓予備校でシャルダンの模写を始めました。