『スチュアート朝の社会生活』という本を読んでます。
17世紀前半にイギリスで活躍したベルギー出身の画家アンソニー・ヴァン・ダイクのことを知りたくて買った本です。
「社会生活」の中の一部に「美術」があって、その一部にヴァン・ダイクがとりあげられてるだけで、予想したこととはいえ、ちょっと物足りなかった。(-_-;)
シェークスピアの時代でもあるので、「ハムレット」初演の時の評判など、当時の人が書き残してくれてたらいいのに残念である、というのはこの本の著者の感想です。
ルーベンスもこの時代の人であるので、しょうもない宗教画(失礼)を描くヒマがあったら、シェークスピアの肖像画でも描いててくれたらいいのに、うまくいかんもんです。
スチュアート朝時代というのは、エリザベス女王の次の時代で、ジェームス一世とその子チャールズ一世が君臨したというか、君臨しそこなったというか、まあ大変な時代だったようです。
エリザベス女王の時代から、王室財産を切り売りしてしのいでたと言うんですが、それで「絶対王政」なんておかしいですね。
チャールス一世は、当時「キリスト教世界で最も幸せな君主」と言われたこともあるそうですが、結局清教徒革命で首をちょんぎられてます。
清教徒革命というのも、よくわからん話ですが、「最も幸せな君主」が首をちょんぎられるんですから、わけがわからなくて当然ですか。
平和で一見幸せいっぱいのイギリスが、血で血を洗う修羅場になる。
王党派と議会派の凄まじい内戦です。
そこに「女傑」が登場しますよ。
王様について転戦する夫サー・ジョン・バンクスの留守を守って孤軍奮闘、城にたてこもって三年間戦い抜いた夫人メアリーさんは、まさに女傑ですね。
私ならさっさと降参です。
メアリーさんは、生まれながらの女傑とかアマゾネスというんじゃないですよ。
「奥方様」なんです。
その奥方様が、地方一帯が議会軍の手に落ちて、完全に孤立してなおかつ降参しない。
女と見てなめてかかった議会軍が、城内の四門の大砲を差し出すよう要求したところ、美しき、かどうかは知らんが夫のかわりに城を預かる若き、かどうかも知らんがメアリー・バンクスは、兵に命じて大砲を城門に並べさせ、のんきに受け取りに来た議会軍めがけてドカンドカンとぶっぱなし、命からがら逃げ去った議会軍は男を下げ、夫人は女を上げちゃったということです。
夫は戦死、奮闘むなしく降伏した夫人を、議会軍の指導者オリバー・クロムウエルは、敵ながらあっぱれなる烈女、英国婦人の鑑と、下にもおかず厚遇したそうですが、これ、たぶんイギリスでは有名な話なんでしょうな。
ダービー伯爵夫人という人も勇敢な女性だったようで、やはり王党派として戦う夫の留守に城に立てこもり、包囲した議会軍の降伏勧告に、「私は自由を買うことはしない。この手で戦いとってみせる!」とミエを切ったというんですが、サッチャー首相はこういう人たちの血を引いてるんでしょう。
処刑されたチャールズ一世の娘をイギリスから脱出させた女性の話ものってます。
王女の生後まもなく清教徒革命勃発、王室に仕えるレディ・モートンは王女を連れてイギリス国内を逃げ回るんです。
そして、王女が2歳を過ぎた頃、フランスに脱出しようとします。
二人でぼろを身にまとって乞食に変装するんですが、王女様が怒るんですな。
そらそうでしょう。
きのうまで、お姫様みたいな、じゃなかった、正真正銘のお姫様ですからね。
それがぼろを着せられる。
逃げる道すがら、なにものかと聞かれるたび、レディ・モートンが、「哀れな乞食でございます」と答えるのを聞いて、怒った王女様は、「アタチは乞食じゃない!王女様よ!」とキーキー言ったそうですが、まともにしゃべれなかったのが幸いして、無事パリについたというのも、イギリスでは有名な話なんでしょうな。
ヴァン・ダイクのことはたいして書いてなかったけど、女傑と乞食王女の話で、まあいいか、と思ったのであった。