「立ち会い出産」ということばは、いつごろからあるんでしょうか。
私が父親になろうという三十数年前にはなかったように思うんですが。
今読んでる『リシュリュー』に「立ち会い出産」が出てきます。
このところ連続で読んでるイギリスの歴史学者ウエッジウッドさんの本です。
リシュリューというのは、17世紀前半に活躍したフランスの政治家です。
フランスの王権を強化して、当時の超大国スペインを向こうに回して権謀術数の限りを尽くす大活躍をした人です。
この人が仕えたフランス国王ルイ13世には長らく子供がなかった。
どんな国でも、「皇太子」「お世継ぎ様」ができるかどうかは、国を揺るがし、権力者たちの運命を左右する大問題です。
結婚も出産も、個人の問題でも家庭の問題でもない。
政治的社会的国家的問題であった。
日本はまだラクでしたね。
天皇家も大名家も、女性をたくさん抱え込んで、そのうちの誰かが男の子を産めば良かった。
キリスト教国では、そうはいかなかった。
王妃様一人でがんばらなければならなかった。
で、「本当に王妃様が産んだのか」とか、「本当に男の子だったのか」というのが問題になった。
「どこかから連れてきた赤ん坊じゃないか」
で、「公開出産」が求められる。
ルイ13世は、結婚以来二十数年子供がなかった。
ということは、次の国王は、ルイ13世の弟であるオルレアン公ガストンということになる。
こういう状況では国が安定しませんよ。
そして、1638年国王37歳の時、それまでに4度の流産を経験した王妃がついに出産の日を迎えた。
オルレアン公ガストンとその一派にとっては、産まれてくるのが男の子かどうか大問題であるどころの話じゃないですよ。
ウエッジウッドさんによれば、この時の出産は、王家の出産のなかでも異例の公開ぶりだったそうです。
ガストンさんが、「この目で確認したい」と言ったのか、ルイ13世が、「その目で確認しろ」といったのかわからんが、ガストンさんが立ち会ったんです。
産まれたての赤ちゃんを、布にもくるまずガストンさんのところに連れてきた。
「皇太子さまご誕生です。ご確認ください」
「むむ!オチンチンが・・・くそ!」
「ひ、引っ張らないでください!」
「くっつけたんじゃないのか!」
「ホンモノですよ!」
「は〜〜〜、ホンモノのオチンチンか・・・」
「がっくりでございますね」
「これがホントの意気消チンじゃ」
「え〜かげんにしなさい!」
「ほんとにねッ!」
あまりの消チンぶりに、策士リシュリューは、ルイ13世に進言して、オルレアン公に金貨6000枚をプレゼントさせたそうです。