ではありません。
『昭和戦争文学全集第6巻南海の死闘』です。
先日、久しぶりで「戦争小説」を読んで、読み応えがあるなと思いました。
で、アマゾンで探して、これを見つけました。
有名な、インパール作戦や、フィリピン、沖縄での戦いを取り上げた小説やノンフィクションです。
読み応えありました。
が、「南海の死闘」というタイトルは、ちょっとおかしいと思いました。
「死闘」というと、死に物狂いの激しい戦いという印象ですが、そんなハデなもんじゃないです。
激しく戦ってない。
やられっぱなし。
激しくやられっぱなし。
激しくやられっぱなしで死ぬんじゃなくて、飢えと病気で野垂れ死ぬ。
こういうのを読むと、激しく戦って死ぬのはまだマシと思えます。
激しくやられっぱなしで死ぬのもまだマシと思えます。
虐待、放置の野垂れ死に。
この時代、アタマのいい、エライ人たちは何を考えていたのであろうか。
どう頑張ったところで大勢に影響のないむちゃくちゃな作戦(?)でどんどん野垂れ死んだ。
気の毒という他ないです。
最近、イギリスの歴史家C.V.ウエッジウッドさんの本を読んでます。
画家であり外交官であったルーベンスの言葉を紹介してます。
ルーベンスの時代、ヨーロッパは戦乱の連続であった。
「戦争は、どんな馬鹿にでも始められるが、終わらせるのは容易なことではない」
三十年戦争について研究したウエッジウッドさんが得た教訓。
「心が狭く、先見の明がなく、歴史に学ぶ力のない者が高い地位に着いた時、恐るべき惨劇が起きる」
いつだったか、司馬遼太郎さんがテレビで語ってました。
戦時中、東條首相のラジオ放送を聞いていたおじさんが、「あほかいな」と言ったというんです。
どんな放送だったのか知りたいと思ってました。
『南海の死闘』の中の『インパール』で、東條首相の後を継いだ小磯首相のラジオでの就任演説が紹介してあります。
「・・・天皇陛下はまた宇宙絶対の神におわしますこといまさら申すまでもなく、しかして天照大神より君民一如たることのみさとしを受け継ぎたる私ども臣民は・・・この信念に立脚して億兆一心総力を発揮するとき、その結果は宇宙を貫く絶対力となってあらわれ、よく天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、戦いに臨んでは完全に勝利を獲得し・・・」
こういうのを聞いて、「あほかいな」と言ったんですな。
わかるけど、この放送中に野垂れ死んだ人にとっては、「あほかいな」ではすみませんね。
『南海の死闘』、非常に読み応えあるけど、しんどいです。