若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

イギリススポーツ史上最大の激戦

グランドナショナル敗者列伝』を書いた人は目の付け所がよろしい。

イギリス最高の人気レースの華々しい勝者の陰に敗者がある。

敗れ去った騎手と馬にもそれぞれの物語がある。

 

1973年のグランドナショナルは、イギリス競馬史上というよりイギリススポーツ史上長く語り継がれる名勝負だった。

二頭の本命馬レッドラムとクリスプが期待にたがわず他を圧倒してゴールを目指した。

中でもクリスプの走りは完璧で、最終障害を越えたところでレッドラムに15馬身の大差をつけて圧勝と思われた。

ところが最後の直線に入ってからのレッドラムの追い込みはすさまじく、見る見るうちに差を縮め、疲れ果てたクリスプともつれるようにゴールになだれ込み4分の3馬身差で勝利をもぎ取った。

 

さて馬場では、レッドラムとクリスプをたたえる大歓声の中、最終走者がゴールを目指して悪戦苦闘していた。

出走44頭中完走17頭の最後を飾ると言っていいのか、とにかく最後の最後に誰も注目しないゴールにたどりついたのは43歳の高齢騎手ピーター・カラス騎乗のミルドアであった。

似た者同士というか似合のコンビであった。

どこが似てるかと言うとどちらも全然期待されてなかった。

期待されてないどころかグランドナショナルに出るのが不思議というコンビだった。

騎手のピーター・カラスは1945年にデビューしたものの鳴かず飛ばずで1960年にはすでに忘れられた存在だったと言うんですから気の毒である。

一方、馬のミルドアは最初250ギニーで売られてレースに出て、次に売られたときは170ギニーだったと言うんですからどんな馬かわかりますね。

不思議なこともあるもので、このミルドアが「グランドナショナル出場資格レース」に出てどういうわけか4着に入ってしまった。

当時、4着までに入れば出場資格がもらえたんです。

で、馬主としてはあこがれのグランドナショナル出場!となったわけです。

ただし勝ち目のない馬にいい騎手は乗ってくれない。

そこに名乗り出たのが鳴かず飛ばずのピーター・カラスだった。

鳴かず飛ばずどころではなくて、騎手で食べていけなかった彼はそれまでに二回引退してるんです。

もうダメだ、と思って引退しては復帰してるんです。

障害騎手になって28年、一度でいいからグランドナショナルに出てみたいと思ってた。

かなわぬ夢とあきらめていた。

そこに、まったく見込みのない馬ミルドアのオーナーが騎手を探してるという情報が入った。

ピーターは飛びついた。

食いついた。

オーナーに猛アタック、タダでもいいから乗せてくれと頼み込んだ。

オーナーも、タダならいいかと乗せてもらえることになった。

イギリスの馬主にとって「グランドナショナル出場」は勲章である。

グランドナショナル完走」となると大勲章である。

オーナーは「もし完走したら300ポンド」と約束した。

ピーターにとっても願ったりかなったりの話だった。

一生に一度のグランドナショナル、勝てるわけないんだからせめて完走したい。

有名騎手でも完走できなかった騎手が多い。

有名騎手ともなると勝ちに行くから危険を冒して転倒落馬につながる。

 

レースが始まると、ピーターはひたすら完走だけを目指して確実に障害を越えて行った。

途中、ふと気づくと先頭集団に入ってた。

あわてて馬をおさえて後方に下がった。

その後も転倒落馬事故による混乱状態に巻き込まれそうになったが、あわてず騒がず混乱が収まるのを待って障害を飛んだ。

そして「イギリススポーツ史上最大の激戦」に沸く大歓声の中悠々とゴールを駆け抜けた。

 

夢をかなえたピーターはその後も2年ほどレースに出てから引退した。

3度目でホントの引退であった。

実は彼はグランドナショナルに出た時イギリスの石油企業ブリティッシュペトロリアムの配管作業員としても働いてた。

自社の作業員がグランドナショナルで完走したと知った会社は翌日広報誌の記者とカメラマンを派遣、大々的に取り上げた。

会社はピーターを配管部門責任者に昇格させた。

ピーターにとって「グランドナショナル完走」は誇らしく素晴らしい思い出であった。

 

馬のミルドアもその後もぱっとしなかったが大きなけがもせず無事引退した。

ぱっとしない騎手ピーター・カラスに生涯忘れることのできない思い出を作ってやったことがぱっとしない馬ミルドアの最大の殊勲であろうというお話です。