私市植物園のことを書きましたが、高校の時美術部のO君と私市にスケッチに行ったことを思いだしました。
なぜ私市に行こうと思ったのかは不明。
高校の近くの国鉄環状線鶴橋駅から京橋に出て、京阪線に乗り換えて枚方市駅、そこから京阪交野線で終点の私市まで行く予定だったんですが、交野線の途中の駅で降りてスケッチして歩いた。
このまま私市まで歩こうということになって、道がわからないから線路を歩こうと二人の意見が一致。
当時の交野線は単線で電車の本数も少なかったからのんびり歩けたんだと思います。
帰りも線路を歩いて枚方市駅まで。
今ネットで見たら枚方市駅から私市まで6キロだそうですが、高校生二人、気楽でいいなあ。
O君とは何度かスケッチに歩きましたが忘れられないのは大阪砲兵工廠跡。
戦前東洋一の兵器工場で、昭和20年8月14日の空襲で施設の8割がやられたという広大な跡地が残ってた。
そこに迷い込んでしまったんです。
両側にコンクリートの高い塀があって空以外何も見えない細い道路が延々と続く。
完全に迷路に迷い込んだ感じで焦りました。
大きな石造りのごみ箱があったんで上って塀の中を見たら草ぼうぼうの工場跡地だった。
向こうに見える廃墟のような工場を描こうと塀を乗り越えて入り込みました。
近づくと焼け残ったような工場は巨大でびっくりした。
O君が石を拾って工場のはるか上の方のガラスめがけて投げたらガチャンと割れたけど敷地が広大だからほとんど気にならない。
で、また投げて割れてするうちに遠くで犬の声が聞こえた。
ワンワンという声がだんだん大きくなって工場の向こうからシェパードが現れた。
これは大変だと二人で走って逃げたけど運河にぶつかって行き止まり。
シェパードの後からおじさんがやってきた。
「キミたちは何だ!」
「な~んや、学生さんか」
スケッチに歩いてて工場や畑に迷い込んで、この「な~んや、学生さんか」で解放されたことが3度あります。
当時「学生さん」はそういうもんだったんですかね。
スケッチでいい絵が描けた記憶はないんですがつまらんことはおぼえてる。
T君と和歌山の加太港に行ったことがある。
なぜ加太港かはこれまた不明。
帰りの南海電車で二人並んですわってたら太ったおばさんがT君の横のかすかな隙間に無理やりすわった。
はじめは遠慮がちにちょこんと浅くすわってたのがだんだん堂々と深々とすわって私とT君は哀れな間借り人みたいにおばさんに押しつぶされそうになって肩を寄せ合うというか身を寄せ合うというか、T君が「なんでこうなるんや」とぼやいたのが昨日のことのように思い出されるのであった。