若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ゴールデンウイーク

先日、整骨院で、「ゴールデンウイークは、どうされるんですか」と聞かれた。

「毎週ゴールデンウイークなんで」
「あ、そうでしたね」

料理教室でも同じ問答。
「ゴールデンウイーク」というのは、いつごろから言い出したのか。
昔は、4月29日の天皇誕生日と、5月3日、5日だけが休みだったから、今と比べると、さびしいもんである。

50年前が「ゴールデンウイーク」なら、今は「プラチナウイーク」か。
プラチナより「ダイヤモンドウイーク」の方が、派手な気もする。

ウチの高校は、5月4日が創立記念日だった。
旧制中学から高校になるとき、3連休にするため、戦後のどさくさにまぎれて、賢明にもというか狡猾にもというか、そう変えたそうだ。
英断である。

私が子供のころ、父はほぼ年中無休で働いていた。
塗料販売店を開いていたのだが、正月三が日と、お盆に一日休むだけだった。
よそのお父さんが日曜休みなのがうらやましくて、母に聞いたら、勤め人は日曜休みだが、お父ちゃんは自分で商売してるから休めない、と言った。

私は、自分で商売はしない!と固く心に誓った。
大学のころには、父は塗料製造業に転換していて、日曜は休みになっていた。

大学一年の夏休みに、父の会社の得意先の塗装工場でアルバイトをした。
日給650円だった。

その工場には、中卒の、四国九州の若者が多かった。
皆三日間の盆休みに国に帰るのを楽しみにしていた。
鹿児島から来ている女の子は、大阪から最寄の国鉄の駅まで18時間、そこから家までバスで2時間と言っていた。

工場長が、奄美大島から来ている若者をつかまえて注意していた。
彼は、毎年、海が荒れて船が出なかったといって、盆休みが終わって、二、三日してから出てくるらしい。
工場長の注意を神妙に聞いていた彼の顔はおぼえているが、その年ちゃんと出てきたかどうかはおぼえてない。

盆休みがすんでしばらくして、秋の慰安旅行の計画が発表された。
ホテルに泊まるというので、若者たちが興奮していた。
工場長の話では、社長が、「若い子」を喜ばせるため、旅館ではなくホテルを選んだということだった。

冬休みにも同じ会社でアルバイトをした。
そのとき、社長が、「おお、若草君、また来てくれたか。経験者やから、今度は日給700円や」と言った。

バイトが終わって、給料袋を家であけたら、日給650円のままだった。