きのうの続きです。
ヤマハでエレキギターを習ってた頃、年に一、二度の発表会でバンドを組むんですが、まずボーカルの人が歌いたい曲を決めてほかのメンバーを募集する。
ボーカルの安森さん(当時60代)が1950年代のアメリカンポップスを歌って、まだ50代だった私がギター、同じ年頃の岩浅さんがドラムというのが固定メンバーみたいになってた。
そのメンバーで何回か発表会を経験したころ岩浅さんが「ライブハウスでライブやりましょう」と私に言ってきたんです。
「ムリ!」と思いました。
できるわけない。
ボーカルの安森さんは声は非常にいいんですがリズム感に致命的欠陥があった。
イントロが終わった後まともに歌いだせない。
間奏が終わった後もまともに歌いだせない。
歌ってる間も伴奏とずれていく。
伴奏が終わってるのにまだ歌ってたこともあるし、出だしだけ歌ったとこで歌詞を忘れてしまって最後まで口をパクパクさせてたこともある。
ギターの私には突発的指痙攣麻痺症という持病がある。
私と安森さんで数々の修羅場を演じてきた。
で、とてもライブなんかムリと思ったんですが岩浅さんがしつこく言うのでしかたなく安森さんに伝えました。
どうせ断ると思って。
ところが「やろう!」と即答したのでこけそうになった。
三人では無茶苦茶になると思って助っ人を頼んだ。
ベースの黒沢君、キーボードの溝谷さん、サックスの西川君。
三人の若者はしっかりしてて頼りになるサポーターです。
バンド名は安森さんが付けた「ビンテージグッズ」。
2005年の1月9日に生駒駅前のライブハウスで初ライブ。
安森さんが「司会もわしがやる!」というのを断固拒否して私がしゃべった。
メンバー紹介で西川君を紹介しました。
「サックス!西川太郎!」
パチパチパチ!
「西川君は宮大工です。お家がそういう工務店をされてますのでお客様の中でこれから神社を建てたいとか寺を建てたいという方があったら西川君にご相談ください。西川君は正月早々吉野の神社のおやしろの工事にかかってます。神社のやしろなんか今からかかったら夏にはできるのかと思ったら秋ですて。やしろあき」
演奏が終わって楽屋にいたら家内といっしょに見に来てた次女が入ってきて、私を見るなり「しゃれ、くだらん!」と一喝されたのもなつかしい思い出です。
たしかにくだらんけど見に来てたヤマハドラム科の青年イッチー君は「ウホホ」と声をあげて笑ってくれた。
八代亜紀さんにお世話になったことを思い出したのでここに記し追悼の意を表するものなり。