きのうぼ~っとしてて本名で書いてしまったけど安森さんはこの日記ではY森さん、岩浅さんはIさんとして何度も登場した方です。
私がヤマハでS先生にエレキギターを習って何年かしてY森さんが入ってきた。
はじめギターを習ってたのにいつの間にかボーカルになった。
S先生は不思議な講師でボーカルもギターも受け持ってた。
長年の講師経験から「素人はヘタでもしかたない」と達観するだけでなく「素人はヘタなほうがおもしろい」と過激な思想を持つに至った。
とても人前に出られるようなシロモノじゃない生徒をその気にさせてステージに出たがるよう調教する。
先生の最大の成果が私とY森さんですが、そのほか地獄の狂獣K原君とか珍青年ドテ君とか猛女U山さん等々、集めようとしても集まらないと思える面々がS先生のクラスに集まってました。
ヤマハの社員さんが「S先生はヤマハのシステムをはみ出してます」と言ってました。
ヤマハも困ってたのではないかと思うんですがどんな生徒でもS先生のクラスだと長続きするので黙認してたと思う。
ヤマハの発表会で一曲だけでも悲惨な結果になるのにライブで何曲もやろうと言い出したIさんもどうかと思うけどそれに乗ったY森さんもこわい。
がんばって練習して七曲仕上げた。
それでも合計17分でライブハウスの最低持ち時間30分には足りないけどどうせすんなり行くわけないからだいじょうぶ。
すんなり行くわけないとは思ってたけどまさか最初からこけるとは思わなかった。
「1曲目、1961年デルシャノンの大ヒット『悲しき街角』、ランナウェイ!」
私の単純なギターの後Y森さんが歌いだすはずが歌いださなかった。
見るとY森さんは苦悶の表情を笑いでごまかそうとしてヘンな顔をしてた。
どこから歌いだしてもいいような曲なのでどこかできっかけをつかんで歌いだすと思って弾き続けたけどいつまでたっても歌わなかった。
突然バンドのほうを向いて両手を上げた。
これは大変なことになったと思ったらY森さんは客席に向かって「つかみ、オッケーやな!」とニッコリ。
場内失笑の爆笑。
しかたないので私も客席に「つかみオッケーですね。こういうノリでやりますので、この後もハラハラする場面、気まずい場面、いろいろあると思いますがそこのところよろしく!それでは気を取り直してまいりましょう!1961年、デルシャノンの大ヒット・・・」
まあまあの初ライブであったことを今は亡きY森さん追悼の意を込めて記す。