若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

年賀状

この数年「年賀状は今年で最後にします」というのが来るようになりました。

はじめは10歳くらい年上の方たちからだった。

最近は同年配の人からも来るようになった。

「今年で最後にします」と宣言した後も毎年来る方もある。

気が変わったというより宣言したのを忘れたんでしょうね。

 

今年の年賀状でびっくりはヤマハエレキギターを習ったS先生が、この春でヤマハを退任しますというお知らせ。

先生は永遠にヤマハで教え続けるように思ってた。

私よりちょっと下のはずだから年齢的には退任でもおかしくない。

おかしくないけどヤマハの先生としては「余人をもって代えがたい」存在である。

本職は声楽だけど若い時から打ち込んだギターも教えるし、なにより「ステージ」を優先する先生。

先生のクラスは私みたいな落ちこぼれ専門という感じで、ほかの先生ではついて行けないような生徒が集まるというかたむろするというか沈殿するというかこびりつくというかへばりつくというか。

そういう箸にも棒にもかからないような生徒をステージに立たせるのが主義というか趣味というか何とも言いようのない指導方針であった。

ヤマハの発表会だけでなく自分で企画して自分の機材を自分で運んで発表の場を作る。

箸にも棒にもかからないような生徒がステージに立ってライトを浴びてあがってまちがえて忘れてこけて大恥をかいてこんな経験は二度とイヤだと思って一週間するとまたステージに立ちたくなる。

マジックである。

ヤマハの黒魔術師。

 

私はヤマハエレキギター教本の2冊目でグループレッスンについていけなくなった。

先生は、「弾きたい曲をやりましょうか」と言って個人レッスンになってしまった。

こんなのありなのかなと不思議に思いましたがヤマハの人は「先生は寺子屋のお師匠さんみたいなもんですから」と笑ってました。

 

とにかく忙し先生で「年中無休!」という感じだった。

子供さんもいたんですが家庭が心配になるほど黒魔術師として多忙を極めた。

忙しくなりすぎて奈良の教室の指導をやめるという噂が出た時は焦りました。

結局やめなかったけど後で人づてに聞いた話では奈良の教室には自分を頼りにしてる落ちこぼれおじさんがいるのでやめられないということだったみたい。

私がやめて、そのあと私と迷コンビだったY森さんが亡くなってから先生は奈良の教室をやめて大阪での活動に専念されました。

 

その後も発表会の案内はいただいて黒魔術師の健在ぶりを拝見しました。

去年の発表会も楽しみにしてたのにコロナで中止になった。

 

私のエレキギター活動は45歳からの約20年ですから、まあ人生で一番いい時期の楽しみというか一番しんどいころのストレス発散というか、大変お世話になりました。

ありがとうございました。