若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

夏の想い出

夏が来れば思い出す。
はるかな尾瀬ではない。
ステテコである。

ステテコは今?
かつて、日本の一般市民男性の夏のカジュアルウエアとして一世を風靡したステテコも、いまやほとんど見ることができない。
このほど、財団法人日本服飾学会では、ステテコの保存と復権に向けての取り組みを開始したが、遅きに失した感を否めない。

私が高校の時、クラブのみんなで話をしていたら、S君が、「ぼくは、アンチステテコ党」と言った。
先輩のKさんは、「おれはステテコ党」と言った。
1964、5年には、アンチステテコ党が急速に勢力を伸ばしていたものと思われる。

私は、中学の時は家でステテコをはいていた記憶があるが、高校のときはどうだったか覚えていない。

美術部の後輩でA君という男がいた。
「朴訥」という感じの男だった。
「サツマイモ風」と言ってもよい。

早稲田大学を卒業後、私の町の「M」という大きな洋品店に就職した。
町では有名な店だったとはいえ、なぜまた洋品店に就職したのかと思ったら、彼の家が洋品店で、あとを継ぐ修業のためということであった。

1972、3年の夏である。
朝刊に入ったチラシを見ていた。
「M洋品店」の大きなチラシがあった。
夏物大売出しである。
ひろげて見た私は驚いた。

チラシいっぱいにステテコ姿のA君の写真が!!!
チヂミのシャツとチヂミのステテコに靴下というスタイルの、「朴訥」あるいは「サツマイモ風」A君が、憮然とした表情で籐椅子に座っているではないか。

こ、これはいったい・・・・?
まさかA君が志願したわけではあるまい。
その後、A君に会う機会がないのでこの件に関しては謎のままである。

早稲田大学は、私大の雄として多才な人材を世に送り出してきた。
A君が、早稲田出身のステテコモデルとして、すたれ行くステテコの販売促進に一役買ったことも記憶されてよいだろう。