朝刊の本の広告。
「猿の描き方」
なぬ?
猿?
そういえば、来年は猿年か。
宣伝を打つタイミングがちょっと早すぎるのでは?
大和版に写真入りで大きな記事が出ていた。
ある幼稚園では、園児たちに生命の尊さを教えるため、毎年この時期に猿沢の池に金魚を放している。
「放生会」ですね。
そういえば、二十年ほど前、葬式で出棺の時鳩を放すのが流行りました。
伝書鳩を放すというのがすっきりしませんでしたが。
猿沢の池では、昔から興福寺の放生会として、鯉を放しているそうです。
それにちなんで、園児たちが金魚を放すのです。
かわいいではありませんか。
ところがである。
自然界というのはそんな生易しいものではない。
猿沢の池にはたくさんの亀が住んでいる。
その亀たちが、園児たちが放す金魚を狙って群がり、待ち構えているというのだ。
そして、園児たちが金魚を放すや一斉に飛びかかって、引き裂き食いちぎり、猿沢の池は一瞬にして凄まじい修羅場と化すというのだ。
園児たちが恐怖にかられて泣き叫ぶのも無理はない。
昔、猿沢の池の亀というと、イシガメやスッポンなど、古来日本に住んでいる少数の亀に限られていたそうである。
ところが、最近ペットで飼っていた亀を捨てに来る人が増えて、いろんな種類の亀が大量に住むようになったらしい。
ふつう、「ミドリガメ」と言っているのは、「ミシシッピアカミミガメ」というそうです。かわいげがない。
「カンバーランドキミミガメ」などという名前の亀もたくさんいるそうです。
猿沢の池にはこの他、人間の指くらいは食いちぎる「カミツキガメ」なんていうのもいるらしい。
そこに金魚を「放す」というのだ!
放される方はたまったもんではない。
幼稚園側は困惑しているとのことであるが、困惑する方がおかしい。
この世に極楽はないということを教えればよろしい。
宗教評論家の、ひろさちやさんが似たような話を書いておられた。
蜘蛛の糸に絡まった蝶々を放してやって、子供たちに生命の大切さを教えました、という幼稚園の先生の話を批判されていたのである。
「蜘蛛はどうなるんですか」
ひろさちやさんは、すべての生き物は他の生き物の生命を奪って生きているので、この場合は、蝶々が我が身を犠牲にして蜘蛛を生かしたと教えるべきだと言われる。
それを仏教では「供養」というそうです。