若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ファン

阪神タイガースが優勝して、阪神ファンが大騒ぎした。

四十数年前、私が甲子園に見に行ってたころは、それほどではなかったと思う。
先日、往年の名選手が嘆いていた。
「昔は絶好のチャンスという時に大声援が起きた。そして声援は投手が投球動作に入ると同時に静まったものだが、今はのべつ幕なしに騒いでいて野球を楽しむ雰囲気ではない」

確かにそうだった。
私は、甲子園の、球場を揺るがす大歓声が、ピッチャーが振りかぶると同時に、シーンと静まり返る瞬間が好きだった。

「ファン」とは何か。
アメリカの、ロバート・ペン・ウォレンという詩人は、「ファン心理というのは、擬似非自我を過剰に満足させた状態である」と言っている。

むつかしい言い方である。
ろくでもないものだと言っているのは分かる。
この人は、「自我」というものが非常に大事だと言っている。
そして、「自我」というのは、「完全な存在である神に一歩でも近づこうとする人たちが作った共同体の中で、互いに刺激しあうことによって育まれるものだ」と言っている。

ということは、日本人には「自我」はない。
それどころか、この人によれば、アメリカにおいても、「自我に対する意識」は南北戦争以後、衰える一方だと言う。
まともな自我をもてない人が、個人主義者になって、個人主義者のモットーは、「私を楽しませてください」であり、そこから、「ファン」の話になる。

「ファン」で思い出すのは、「ばあちゃん」のことである。
「ばあちゃん」は九州の漁村から出てきて、昔、会社の賄をしていた。
息子夫婦と同居していたが、嫁さんとの関係が最悪らしかった。
非常に手ごわい嫁さんのようで、ばあちゃんの憤懣は鬱積していたようだ。

あるとき、ばあちゃんが話した。
「昨日、A男(息子)とB子(嫁)が言い合いになって。B子が口答えしよったら、A男がほっぺた張り飛ばしよった。パッチーン!て、思い切り張り飛ばしよった。きーもち良かったア〜!」

このばあちゃんがテレビを見ていた。
吉永小百合が大根を切っていた。
ばあちゃんは、うれしくてうれしくてたまらないと言う感じでうっとりと目を細めて見ている。

「小百合ちゃんは、料理が上手かー!小百合ちゃんは、何でもできよらすとよー!小百合ちゃんはえらかよー!」

擬似非自我の過剰満足である。