若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

今日は何の日

阪神大震災の年の今日、母が骨折してボケが一気に進行した。

父から会社に電話がかかった。
弾むような、うれしそうな声が忘れられない。
私たちと一緒に暮していたとはいえ、父が一番悩んでいたと思う。
「お母さんが転んで骨折したんや!入院するんや!完全看護で、付き添いはいらんらしい」

「入院」と聞いて、私もほっとしたが、家での生活ぶりから考えて、「付き添い不要」は信じられなかった。

会社の帰りに病院に行った。
看護婦詰め所で名乗ると、看護婦さんが血相を変えて飛んできた。
「困ります!あんな人を置いて帰られて!無茶苦茶じゃありませんか!」

ここは父も入院したことがある病院で、他の病院同様高齢の入院患者が多い。
にもかかわらず、医師や看護婦の「ボケ」に対する理解が遅れていると思った。

母は、それまでにすでに非常に厄介な状態になっていたのだが、骨折、入院を境に一気に別世界に突入したという感じだった。
「入院でひと安心」、どころではなかった。

骨折して入院していると言う自覚がないのだから大変だ。
トイレにも自分で行くというし、着替えも自分ですると言って聞かない。
看護婦さん相手に暴れる。

ある日、担当の医師に呼ばれた。
「点滴は抜くし、骨折した足は動かすし、これでは責任ある治療はできないので、ちゃんと指示に従うようあなたから言って聞かせてください」
こういう先生を相手にするのだから、こっちも疲れる。

毎日のように父から会社に電話がある。
「看護婦さんをたたいた」
「婦長さんの腕にかみついた」

そのつど、会社帰りに謝りに行った。

特に、着替えさせてもらうのを嫌がった。
どうして裸にするのか、と怒るのだ。
私にも、こんなことをさせていいのか、なんという息子だ、と怒った。

着替えさせるのに、看護婦さん四人がかりだった。
二人で上半身を抑え、一人が動く方の右足を抑え、一人が着替えさせる。
ある時、あまり暴れるので、私が「手伝います」と言ったら、看護婦さんが、「ここはプロに任せてください」と言った。

空しく響く言葉であったが、私は病室の外へ出て待っていた。
ふと中をのぞいたとき、母が右足をさっと抜いた。
あわてて押さえに行く看護婦さん!
狙いすましたように、母が足を蹴りだす!
顔面直撃!
尻餅をついてひっくり返る看護婦さんを見て私は逃げ出したかった。