若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

あくび指南

お師匠さんにあくびの仕方を習いに行くという落語がある。
この落語は、「教えるとはどういうことか」「学ぶとはどういうことか」という根源的な問いを我々に突きつけてくるようなものではない。

今朝の新聞。
「定年を迎えた男性の引きこもりが問題に」

男は、職場で命令したりされたりすることになれてしまって、雑談が苦手なので、近所づきあいもできず、家族との交流もなく孤独である。
そこで、「男のためのコミュニケーション教室」を開いて雑談の仕方を教えたところ、「雑談の楽しさを初めて知りました」という男性が多いという記事である。

「雑談指南」である。

以前、大工の棟梁の手記を読んだことがある。
この人は、企業の社長や重役の自宅を手がけることが多かった。
家庭にあっても、夫や父というより、社長や重役として振舞う人が多いと書いていた。
わかる。
家に帰っても鎧兜が脱げないのである。
母のいる施設に行くと、ボケてなお脱げない人がたくさんいる。

「雑談が苦手」という人は多いと思う。
「雑談」とは、どうでもいいような、何の役にも立たないような話だ。
私はこれが得意だ。
中国に、「雑技団」というのがあるが、「雑話団」というのがあれば、私は有力な団長候補だ。

雑談が得意になるには、どうでもよい話をたくさんすることと、たくさん聞くことが重要だ。
人の話を真剣に聞いてはいけない。
どんな偉い人のまじめな話も、雑談として聞く事が重要だ。
いつ上げ足を取ろうか、突っ込もうかと神経を張り詰めていなければならない。
「高僧の説法」というカセットがある。
程度はかなり低い。雑談の悪い見本だ。

なんでもそうだが、雑談も、習ったからといってすぐにできるようになるものではない。
技術だけの問題ではないのだ。

心理療法家が書いていた話。
ある父親が言った。
「私は夕食の時いつも息子と会話を楽しんでいます」
息子に言わせるとこうなる。
「父は夕食の時いつも説教するんです」

雑談が成り立たない人間関係というのがあるのだ。

我が家もそうだ。
夕食の時、息子がイラク情勢についてしゃべっている。
私がおもむろに口をはさむ。
「それはなあ・・」
とたんに息子の顔に警戒の色が浮かぶ。
「どうせまたしょーもないシャレ言うんやろ?」

親子というのはむつかしいものだ。