若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

惜別その2

「惜別」欄の二人目は、歌手のバーブ佐竹さんだった。

バーブ佐竹さんは、1964年に出したデビュー曲「女心の唄」が250万枚突破の大ヒットとなり、一躍人気歌手になった。
私が高校3年生の時である。

この曲はイヤと言うほど聞いた。
私が一番聞いた曲ではないか。
好きだったわけではない。
パチンコ屋で繰り返し繰り返し流れていたのである。
この曲と、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後で」は、当時パチンコ屋でうんざりするほど聞いた。
ウチの高校の最寄の駅周辺にパチンコ屋が何軒もあって、私たちはよくパチンコをしたのである。

相撲の春場所になると、その駅付近の寺にいろんな部屋がやって来た。
町でお相撲さんをよく見かけたものだ。

ある日、パチンコ屋に入ったら、お相撲さんがパチンコをしていた。
後の大関清国だった。
大関清国の隣でパチンコをしたというのが、私の自慢のひとつだ。

何の話か。
バーブ佐竹さんだ。

キングレコードのプロデューサーが、バーブさんを、素晴らしい歌手だったとほめている。
表現力がすごかったそうだ。
「たとえば、歌詞に『海』という言葉があると、それが湘南の海なのか千葉の海なのか歌いわける力があった」

天才的と言うより、超能力歌手だ。

長女が小学一年のとき、YMCAの体操教室に通っていた。
いろんなイベントがあった。

6月に遠足があって、帰って来てうれしそうに
「パパ、7月はどこに行くと思う?」
「さあ?」
「海!」
「どこの海?」
「・・・さあ?」

「おばあちゃん!私、7月にどこに行くと思う?」
「さあ?」
「海!」
「へえ、どこの海?」
「・・・さあ?」

「おかあさん!私、7月にどこに行くと思う?」
「さあ?」
「海!」
「ふ〜ん、どこの海?」
「・・・さあ?」

「パパ、海ってひとつとちがうの?」

バーブ佐竹さんとの会話ならこうなる。
バーブさん、7月はどこかに行くんですか」
「海」
「あ〜、若狭に行くんですか」

「8月はどこかに行きますか?」
「海」
「おっ!コートダジュールでバカンス!うらやましいですなー!」

「年末年始はどこにおでかけで?」
「海」
「なんと!フランス領象牙海岸!こりゃまた結構!」

この表現力を見習いたいものだ。