地震雷火事親父。
こわいものの代表ということだが、先日の地震で改めて、「こわいもの筆頭者」に納得した。
雷でそれほどこわい思いをしたことはない。
ゴロゴロと鳴り響く重低音が好きだ。
火事は、近所の家が燃えた時はこわかった。
親父はこわくなかった。
祖父もこわい父親ではなかったそうで、私もこわい父親ではないから、我が家は三代百年にわたってことわざ失格だ。
単なる「親父」でもこわいのだから、「雷親父」となると、とんでもなくこわそうだ。
震えながら怒る「地震親父」は、倒れるんじゃないかと心配だ。
「火事親父」は一時かっと燃えても、煙に巻いているうちに、「しょうかしょうか」と納得して鎮火しそうだ。
今年は台風がたくさん上陸して被害が出ている。
地震雷火事親父に、なぜ台風が入っていないのか。
地震の次に入っていてもいいのではないか。
台風はこわくないのか。
この言葉ができた頃、日本には台風が来なかったのだろう。
江戸時代や平安時代や縄文時代に台風があれば、家などほとんど飛んでしまったはずだ。
飛んでいく家に世の無常を感じて、西行や芭蕉が歌や俳句を作ったはずだ。
そういう作品が残っていないところを見ると、昔は日本に台風は来なかったのだ。
私が子供の頃、台風が来そうだというと、父は塀につっかい棒をしたり、窓に板を打ちつけたりした。
よその家では何もしないのに、なぜウチだけするのか母に聞いたことがある。
母は、「お父ちゃんの性分やから」と言った。
当時の私には、「性分」と言うのは非常に難解な言葉であったが、なんとなくわかるような気がした。
その後、「ノンちゃん雲に乗る」という本を読んだ。
ノンちゃんのお父さんは、「ぼくの主義だから」という言い方をする。
私は、「シュギ」と「しょうぶん」は似ているみたいだなと思った。
そして、どちらかというと、「シュギ」の方が「しょうぶん」より立派そうだな、と思い、うちのお父ちゃんより、ノンちゃんのお父さんの方が偉そうだなと思ったのであった。