二、三日前、テレビをつけたら、ナイター中継だった。
阪神の攻撃だ。
客席が映っていたが、何人かの人がリーダー役で客席に向かって指揮していた。
グランドには目も向けず、一心にエンエンと腕を振っていた。
不思議である。
こういう人は、野球が好きなのか応援が好きなのか、自分でも分からなくなっているのではないか。
「阪神の応援をするのが好き」な人たちの集まりが、「私設応援団」なのだろうが、「公設」というのはないようだ。
「ブーイング」は応援の一種なのだろうか。
自分のひいきを応援するというのは自然だ。
相手を罵倒するのも自然か知らんが、品が悪い。
品がよくても、自分が応援している選手に勝ってほしいと願うのは、相手選手に負けてほしいと願うことだ。
ベルリンオリンピックで有名な、河西アナウンサーの「前畑がんばれ」の絶叫は、「ゲネンゲル、負けろ」と連呼してるのと同じだ。
「ゲネンゲル、くたばれ!!くたばれ!くたばれ!くたばれゲネンゲル!鼻で水飲め!」
ひどいではないか。
日本の恥だ。
「応援」するから、こういう問題が生じる。
「競技を楽しむ」なら、「どちらもがんばれ!」と叫ぶはずだ。
坂上博康著「権力装置としてのスポーツ:帝国日本の国家戦略」を読む。
例によって、本題はどうでもよろしい。
この本で、昭和初期の東京の街角風景が紹介されている。
40近い男が、ボールを投げようとすると、若い女性たちが
「フレーフレー!モダンヂヂイ!」
と声援を送る。
40にして、「ヂヂイ」だったようだ。
昭和7年、静岡県中等学校野球大会準決勝、静岡中学対島田商業の一戦における島田町町民の熱狂振りも紹介されている。
大勢の町民が球場に押し寄せ、町が空になったと思わせるほどであった。
島田町民のヤジはすさまじい。
「馬鹿野郎」「殺してしまうぞ」「わさび樽」など、楽しい野次が飛び交い、たまりかねた県体育協会は、「低級なヤジはスポーツ精神に反するから注意してください」という張り紙を出したほどだ。
島田町て、どこですか。