若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

もったいない

ケニアノーベル平和賞受賞者、ワンガリ・マータイさんが日本に来たとき、「もったいない」という言葉を世界に広めたいと語ったそうだ。
お願いします。
日本人には無理だ。
世界を股にかけてありとあらゆるものを売り歩きながら、「もったいない」は無理だ。

今年度版の日本の「環境白書」は、「もったいない」の精神を、ごみ減量と地球温暖化対策に役立てたいとしている。
環境白書は、「もったいないとは、物の値打ちを余すことなく使い切ること」と定義しているそうだ。

ちょっとヘンな感じがする。
使い切らずに捨てるのはよくないが、使い切らずにとっておくのはよいのではないか。今は、「上手に使ってください!」の時代で、「使わないでおこう」と言える雰囲気ではないのだな。

「物の値打ち」とは何か、「余すところなく」とはどういうことか。
かたいこと言わずに、どうせ使うんだから使い切ろう!
やけくそだ。

「もったいない」という言葉は、私たちがとっくに捨ててしまったので、三、四十年ほど前のゴミ箱でも探さないとありませんよ。
母なんかはよく使ってましたが。

十年ほど前、親戚の葬式で横浜に行った。
帰りは母の兄である伯父といっしょに新幹線で帰ることになった。
伯父は、そこそこの会社の取締役を務め、悠々自適の暮らしであった。
80を過ぎた伯父にいいところをみせようと、私は、「おじさん、グリーン車、おごりますよ」と言った。
伯父は、「もったいない!」と一喝した。
恐い顔をだったので、グリーン車はやめて、指定席券を買おうとしたら、それも「もったいない!」
自由席で空席を見つけろというのだ。

知性的に、理性的に、色々考えた上で「もったいない」というのではだめですね。
伯父のように、反射的に、感情的に、逆上気味に腹の底から、「もったいない!」と叫ぶようでないとホンモノでない。

「もったいない」の精神は、資源の節約とか、温暖化防止とかいうのとは関係ない。
とにかくもったいないのだ。
なにがなんでももったいない。
いつでもどこでももったいない。
口を開けばもったいない。
口を開くのももったいない。
なら、黙ってて。