若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

私たち

バス停に「犬を探しています」という張り紙。
久しぶりである。
遠慮して、掲示板に張らず、駐車場の金網に苦労してはりつけてある。
いいんですよ、掲示板に張ってください。

犬種は柴犬で、色は白で、名前がシロ。
特徴は耳が茶色い。

この張り紙は、心に訴えてくるものがあった。

「私たち、探しています!」

この一言でぐっとくる。
さがしている人たちの顔が見えるような気がするからだ。
お父さんとお母さん、子供達がかわいがっていた犬なのだ。

E.M.フォスターというイギリスの作家が、「駅の、『スリに注意』という張り紙を見ると、心が痛む」というようなことを書いていた。
善男善女と思える人たちの中にスリがいるかも知れないのだ。

読み方によって、張り紙も色々考えさせる。

以前、大阪の市バスに乗っていて、小学高学年と思える男の子がゼッケンをつけているのに気づいた。

「ぼくを○○で降ろしてください」

そのゼッケンを見て、面白い!と思った。
なんでも面白がるのはよくないクセかも知らんが、思ったのだから仕方がない。
その路線には、養護学校があったので、いわゆる知恵遅れの子供だったのだろう。

意表をつかれた感じだ。
自分が降りる停留所に着いたら自分で降りる。
これが当たり前だ。
しかし、「ぼくを降ろしてください」もありなのだ。
この子が言っているわけではない。
お母さんが私たちに言っている。
この子をお願いします、と言っている。
わかりました、引き受けます、という気になる。
いい感じだ。
「スリに注意」よりはるかにいい。
肯定的で信頼感あふれるゼッケンだ。

まあ、親にすればそんな気楽なものじゃないかもしれないが、気楽な第三者である私はそう思った。
私は、この子と同じようなゼッケンをつけているのかもしれない。
「ぼくを○○で降ろしてください」

よろしくお願いしますよ。